大隅半島芸術村
〒893-0053 鹿児島県鹿屋市浜田町南風の丘2-1
TEL:0994-47-3118

図書館長郷原岳東の便り

季節がめぐる南風図書館
南風図書館
館長 郷原 岳東
(ごうはら たかあき)
南風図書館・館長だより(2023年1月)

昨年末の新聞に菱田川河口でシラスウナギ漁が解禁されたと報じられていました。ウナギの稚魚であるシラスウナギの漁は、12月から3月のあいだに行われるそうです。記事を読み、私も漁のようすを見てみたいと、菱田川まで国道220号線を車で走りました。

師走の街を車のヘッドライトが流れるような光をつらね、街灯が沿道に灯ります。笠之原の先、串良や東串良の街の空には月が照り、星が瞬いていました。大崎町に入って、市街地の先しばらく行くと、菱田橋に至りました。日の入りから夜明けにかけて行われるシラスウナギ漁は、川面に光を灯して掬って採ると聞きましたので、橋を歩きながら河口を眺めてみましたが、その光を見ることはできませんでした。

年が明けてからも、何度か菱田橋まで車を走らせましたが、漁を見ることはできませんでした。最後に菱田を訪れた際に、橋の近くに車を停め、川沿いを歩いてみることにしました。

国道を走る車のヘッドライトが流れ光るところから、暗い方へ星の瞬きの下歩きます。川沿いに出て、スマートフォンの懐中電灯を頼りに海の方へ歩いていきました。河口でのシラスウナギ漁は、海との交わるところで行われているのかと想像しながら行くと、川面に水の音がちゃぷんとして、生き物の気配を感じました。グワーッと鳴く音が聞こえると、どうやら水鳥が巣をつくっているらしいと想像しました。闇の中の川沿いをさらに行くと、また川面に水の音がして、鳴き声がします。少し怖くなって、引き返しました。

菱田橋から大崎の街を抜け、東串良や串良の街の先、笠之原から鹿屋の街に至り、家に帰りました。

ネットでシラスウナギ漁を調べてみると、菱田川河口での漁の映像を見ることができました。漁の方たちが、頭に光を放つライトをつけ、並んでシラスウナギを掬い取る様が報じられています。漁のようすは、ふるさとの風物詩ですが、近年は漁獲量が減っているそうです。

シラスウナギ漁は菱田川河口だけではなく、肝属川河口でも行われているそうです。手元の古い資料によると、カンテラの灯を灯した漁はかつては河口一帯が「不夜城」の様相を呈した、ともありますが、近年は漁の仕方も変わったとのことでした。

肝属川河口には有明橋という大きな橋がかかり、肝付町側に波見権現山がそびえ、東串良町側に柏原海岸がひらけます。

柏原海岸からは大崎町に向かって松林が延びていきます。この松林の海側砂浜には4月になるとルーピン畑に花が咲き、地元の人や見に来た人を楽しませてくれます。5月には松林の中にある土俵で「柏原大相撲」が開かれます。大漁旗がいくつも掲げられ風になびく下、地元の中学生や、県下有名高校の相撲部員たちが繰り広げる勝負に、やんややんやの大声援が湧きます。

菱田川を訪ねた夜に、何度か肝属川河口にも足を伸ばし、シラスウナギ漁のようすを見たいと車を走らせました。松林の西側の道をヘッドライトとカーナビを頼りに、有明橋に向かって走ります。やがて柏原に至り、肝属川河口に出ました。

ただ、シラスウナギ漁のようすは、この目では見ることはできませんでした。有明橋の東の空に月の光が落ちて、川面を照らすのが見えました。この橋からは夜明けには、日の出を見ることもできます。どれほどの歳月にこの河口の風景が見伝えられてきたのでしょうか。

月明かりの空の下を、静かだけれど美しい河口風景を見ながら、有明橋を渡って帰路につきました。


南風図書館・館長だより(2022年12月)

垂水市では12月4日まで、垂水千本イチョウ祭りが開かれていました。11月の末、垂水千本イチョウ園を訪ねてみました。黄に色づいたイチョウの葉が落ちて地面に敷き詰められ、木々が群れ並ぶさまは、初冬の少し冷たい風にも、しっとりと印象深く、目に刻まれました。

この垂水千本イチョウ園は、ふるさとに帰郷された中馬吉昭さん夫妻が、昭和53年から植樹されてきたものだそうです。お祭りのイチョウ園には見に訪れ来た方たちが散策し、銀杏の実も落ちていました。高台の並木からは西に垂水市街や錦江湾への眺めも開けます。祭りの期間中、12月4日までは夜間にライトアップもされたそうです。

8年ほど前の初夏にも、垂水千本イチョウ園を訪ねたことがありました。その時に見た若葉の園は初冬には幸福な散策路となることを知りました。

千本イチョウ園から垂水市街に出ると、垂水港を擁する街並みの中を行きます。鹿屋市からは国道220号線を走って、本城川にかかる橋を渡って至ることになります。道中、アコウの並木や道の駅はまびらなど、美しい景色や見どころがあります。

国道220号線を桜島の方角へ向かって走ると、荒崎パーキングエリアの先に、海潟温泉郷があります。有名な江ノ島温泉にいちど入ってみたいと思いながら叶わないのですが、行く国道沿いには温泉宿が何軒か建っているのも見られます。この海潟温泉郷の先には海潟漁港があります。カンパチの養殖で有名な漁港には漁船がいくつも停留し、北には桜島を眺めることができます。映画やテレビドラマのロケ地にもなったそうです。

海潟の海の200メートル沖には、周囲1キロの島があります。古く弁天島と呼ばれ、今、江ノ島と呼ばれる島です。海岸から、向こうに島や湾の海や桜島をのぞむ風景を、古の人も美しく眺めたことでしょう。

海潟漁港には、垂水市漁協やカンパチ料理の食堂の建物が建ち、公園も整備されています。鹿児島市から桜島フェリーに乗って鹿屋に帰る際には、戸柱鼻から早崎大橋を渡って、海潟隧道の先、必ず見る景色ですが、漁港まわりのいきいきした感じや温泉郷が、詩情を感じさせます。

車を走らせた11月末、垂水市街から本城川の方へ走って、野球場や陸上グラウンド、文化センター付近も散策してみました。垂水をふるさとに生きる人たちの生活を住宅街に感じます。

幼い時から鹿児島市に出る時に、垂水フェリーや桜島フェリーに乗るため、必ず通ってきた垂水の街並みは、どこかしっとりしている気がします。

垂水千本イチョウ園の黄色い葉のじゅうたんの中を歩いた日には、冷たい風が吹き始める頃にも、散策する人たちの心香る幸せさが満ちていました。

垂水市街や海潟温泉郷、漁港の風景にも、師も走る季節に至る冬の夜空の下、家族で過ごしたり部屋に一人でいる時間を前に、日中働く人たちの大らかであったかな心を感じながら、車を走らせました。


南風図書館・館長だより(2022年11月)

11月3日には3年ぶりに弥五郎どんまつりが開かれたそうです。弥五郎どんは、体長4.24メートルの巨人で、11月3日の日だけ岩川八幡神社に身づくろいし、浜下りして岩川の街を練り歩きます。

弥五郎どんまつりには何度か出かけましたが、岩川まで鹿屋からは国道269号線を行くことになります。

秋の野を行く道沿いには、美しい風景が広がります。

鹿屋市東原の台地に、かつて競走馬が練習場を駆けていくのを見たことがありました。269号線沿いの荒佐近くにも競走馬牧場があると知り、行ってみました。施設には、レースのコースのような練習場があり、馬が2頭草を食んでいるのが見られました。ここから都会のレースにも駆ける馬が出るのでしょうか。競走馬牧場の見学は要予約だそうですが、調教のようすや、九州全域の軽種馬情報などを見ることができるそうです。

この荒佐の地は、江戸時代に近畿地方からやってきた士族によって開拓されたそうです。集落の照日神社には、かつて寺子屋が開かれた歴史があります。

ここから野方を行き、大鳥峡の先には月野の景色が広がります。田んぼの中に大田神社が建ち、鳥居の前には水車が回ります。

やがて、道の駅おおすみ弥五郎伝説の里が右手に見えます。坂を下ると岩川の街です。

私が車を走らせた11月2日、岩川の街には奉納ののぼり旗がいくつも立っていました。菱田川沿いをさらに269号線を行くと、末吉の街に出ます。街のまわりには畜産や畑作など広大な農業地帯がひろがります。

この日、ここから10号線に出て、道の駅すえよしの先、高速道路に乗って鹿屋に帰りました。

翌々日、岩川八幡神社での弥五郎どんまつりのようすが報じられており、岩川の街がまつりに盛り上がったようすを知りました。

例年、収穫を終えた農家や地元の人の楽しみとなってきたことをうかがわせます。

弥五郎どんが身づくろいされて境内に立つ朝未きから、地元内外から見物客が来て、午後1時に氏子たちによって足の乗った車を引かれて、坂道を降りてくる様は圧巻です。

このおまつりのち、秋の深まりの極まる先、立冬となる大隅半島にも、やがて街にはクリスマスソングが響く季節に至ると知ります。


南風図書館・館長だより(2022年10月)

高須川の流れる野里の田んぼ地帯では、稲刈りが盛んな季節となりました。黄金色の穂を刈るコンバインが田んぼの中を行き来するのを目にします。収穫の終わった田んぼには稲わらが干されています。これから脱穀された生モミが、乾燥庫に運ばれていくのでしょうか。

ちょうど今の季節は唐芋の収穫も盛りです。畝を覆った蔓が刈られたあとを、多人数で芋を掘って収穫している様が見られます。

稲も唐芋も1年かけて育てた作物を収穫する、実りの季節です。

稲は冬場に苗床で、モミから苗を育てるそうです。苗を育てるあいだに、田んぼを耕起し、水を入れ、代掻きを済ませます。5月中頃から田植えです。苗を見守りながら、除草するなど作業していくと、夏ごろに稲穂がつきはじめ、やがて秋に穂が熟れていきます。

私は図書館まわりの森から瀬筒近くを散歩する際や車で野里を行くときに、田んぼのようすを観察することができました。

唐芋も冬から苗づくりです。芋の場合は苗床に芋を伏せ込み、伸びてきた蔓を切って土に挿して苗を増やします。この間に畑を耕し、肥料をやり、畝を立てマルチを張って、春から畑に植え付けます。芋の生育を見守り、秋に収穫です。

この季節は、ふるさとにも薫り立つ風が吹き、田んぼや畑での収穫作業にも喜びが感じられます。収穫した唐芋を入れた大きな袋を載せたトラックが、加工場や選果場に運ばれていくのも目にします。

先日は、台風一過のち、図書館庭を眺めておりましたら、栗の実が落ちているのを発見しました。郷之原や浜田の農家屋敷まわりには、柿が実をつけているのも目にします。

肝付町の高山本町では、9月中旬の月の宵に、「8月踊り」が隔年ごとに伝えられます。女性たちが三味線の調べに合わせて、優雅に踊るのが美しい伝統です。女性たちの艶やかな踊りの宵の後には、10月第3日曜日に、四十九所神社で流鏑馬が奉納されます。

流鏑馬の馬に乗る射手は、地元の中学2年生から選ばれ、毎年、四十九所神社の馬場を大勢の人が見守る中を駆け、的に向かって矢を放ちます。

秋が深まり、流鏑馬の少年の雄姿を見る頃には、ふるさとも実りの収穫の盛りです。この1年見守った作物が、かぐわしい風の中、収穫されていきます。あぜにはヒガンバナが揺れ、コスモスも咲き始めます。

こんな季節の晴れた日には、気持ちが良くて、農作業にも精が出ます。私も田んぼや畑の中を散歩しながら、気持ちの良い風に吹かれて、笑みがこぼれ、ノコンギクやカラスノゴマなど、季節の草花が揺れる中を、楽しい足取りで、歩き行きます。


南風図書館・館長だより(2022年9月)

東九州自動車道が開通し、鹿屋から志布志までも行きやすくなりました。志布志市の志布志町は港を擁する海沿いの街です。宮崎県との県境の潮の香る街は、古跡や街並みがいきいきとしています。

志布志港には飼料倉庫や倉庫が建ち並びます。志布志と大阪を結ぶ旅船「さんふらわあ」の乗り場発着場もあります。東京と名古屋、大阪、志布志、奄美大島、沖縄を結ぶ航路の船着き場発着場もあります。

港から街に入ったところには、日南線の終着駅志布志駅があります。かつては、ここから鹿屋の方へ大隅線が延びていました。

志布志には、神社やお寺もたくさん残っています。特に有名なのは大慈寺で、禅宗のお寺として庇護を受けたそうです。山門両脇の仁王像は、石工・藤田次郎衛門が彫ったそうです。他に宝満寺も有名で、4月にはお釈迦祭りが開かれ、シャンシャン馬に乗った花嫁さんが街を練り歩きます。

山宮神社、安楽神社には春まつりが伝えられます。

志布志千軒いらかの街と言われた商店街や古屋敷群には見どころが残ります。日本遺産・志布志麓ののぼり旗がはためく古屋敷群街には、庭園もいくつか残っています。この風情を楽しむ街歩きツアーも企画されているそうです。

志布志から前川にかかる権現橋を渡って、漁港にも出てみました。どんな魚が採れるのだろうと思いながら、停留する漁船群を眺めました。水産加工会社のビルも建つ街が、古くから交流や交易、漁業など海によって暮らしてきたことをうかがわせます。

権現橋から直進すると、ダグリ岬に出ます。ダグリ岬には、遊園地やすぐ隣には海水浴場があり、国民宿舎も建ちます。

夏に訪ねた際には、海水浴を楽しむ方々の姿も見られました。

海水浴場沿いの道を少し行くと、宮崎県との県境に至ります。古くから薩摩藩との関所のあったところだそうです。

大阪や東京との航路、大隅半島の海の玄関とも言える港近くには、旅の始終の駅も建ちます。

街に香る潮風に何となく心洗われ、笑顔になって、志布志から帰路に着きました。


南風図書館・館長だより(2022年8月)

夏休みに入ると、浜田海水浴場も海開きとなりました。海沿いの通りから集落側に折れた駐車場に車を停めて、道路下のトンネルをくぐって階段を上がると、松林の向こうに砂浜と海が広がります。海の西、錦江湾対岸薩摩半島の開聞岳が、南の空にキラキラと白く映える入道雲のこちら側に、稜線をくっきりとさせます。湾の向こう大海を背に、硫黄島がうっすらと見えることもあります。

海水浴場駐車場の西側に、海に面したパーキングがあり、ここでは昼に憩うサラリーマンや旅の人が、今の時期には夏の全国高校野球甲子園大会のラジオ中継を聞きながら、車内に涼んでいるのも見られます。

このパーキングからも、浜に降りられるようになっていますが、こちら側は松林南の海水浴場の浜とは、海に注ぐ小川のような流れによって隔てられています。高須海水浴場から浜田海水浴場にかけての海岸沿いは、車で走っていても潮風が心地よく、夏の風情を満喫できます。

かつて、この海に面したパーキングから、堤のあいだを通って浜に出たところに、薄青色の花が咲いているのを見つけました。夏の白砂浜に這うように伸びる茎から上部に咲く花のまわりを蜂が飛び回っています。

何となく、きれいだなと思って目に停めました。あとで調べてみると、これはハマゴウという花だと知りました。海岸の砂浜に群生する小低木で、夏から初秋にかけて花を咲かすそうです。

海岸に咲く花としては、他にハマナスやグンバイヒルガオ、ハマユウなど知られているそうですが、ハマゴウの花も印象深く、いかにも夏の海に映える爽やかな花と目に写りました。

浜田海水浴場前の通りを三差路を直進して、南大隅路に至ると、錦江湾対岸開聞岳の姿をいろいろな角度に見ながら、本土最南端佐多岬まで行くことができます。

車で走ると車窓には亜熱帯のヤシの木が沿道に立つのが、時にはハイビスカスが咲くのも見ることができます。ハイビスカスにもいろいろな種類がある中で、最も日本で植えられているのは、ブッソウゲという種類だそうです。ハイビスカスはハワイ諸島やインド洋などの島々などに10種類ほどの原種があり、1900年初頭から始まった交配によって、1万品種ほどの園芸品種が作出されたそうです。

錦江町大根占や南大隅町根占の先、佐多街道を走ると、やがて佐多伊座敷に至ります。伊座敷には、1867年(貞享4年)に開設された薬園が残っています。佐多旧薬園として残る史跡には、今でもリューガンやバンジロウ、パパイヤなどの木々が立ちます。夏にはレイシも実をつけるそうです。

伊座敷の先、大泊からは佐多岬までロードパークが延び、沿道の公園の中を、本土最南端まで行くことができます。

夏に咲く花は海沿いの沿道にも魅力的ですが、他にアサガオ、タチアオイ、ノウゼンカズラなど庭や花畑にも見られます。

ヒマワリやサルビア、ニラの白い花も咲くそうです。

ブドウ園では実の収穫が始まり、ブルーベリーも実をつけたと報じられているのを見ます。

暑い季節に咲く夏の花は、一涼の風のように心を和ませてくれます。潮風に揺れていたハマゴウも、そんな爽やかで美しい花を咲かせていました。


南風図書館・館長だより(2022年7月)

肝属川は高隅山から祓川を流れ、鹿屋市街から田崎の先、吾平町下名、肝付町を流れ、河口の柏原で志布志湾に注ぎます。

祓川からの流れは、谷状になっている鹿屋市街の西側と東側の台地を分けるように流れていきます。このうち東側の台地は、鹿屋市寿や札元の新興街を擁しますが、その北側や東側には、笠之原台地という広大な農業地帯が広がっています。この台地は古く水不足の地で、昔には深さ70メートル近くにも掘った深井戸を、綱を牛に引かせて水を汲まなくてはならなかったそうです。

いま、この笠之原台地は、灌漑がされ、畜産や畑作の豊かな台地に生まれ変わっています。  笠之原台地やその東、串良台地の東側には、串良川が流れています。肝属川の流れを西に、台地をはさむように流れる串良川まわりは、どんな風景だろうと想像しました。大隅湖の南から流れ出す川を、上流から肝属川と合流する俣瀬橋の北まで、車で走ってみることにしました。

川が流れ出すすぐ南、重田の集落の田んぼ地帯は、ちょうど田植えの終わった季節で、苗が青々とそよいでいます。504号線を南下して高隈の集落に入ったところを串良川は流れ、高隅の田んぼ地帯に水を供給しながら、さらに下流へ流れていきます。

川のはずれの高隅中学校前では、夏服姿の中学生たちが下校していく姿が見られました。

川は下高隈の谷田を流れ、徳留の先、馬掛から生栗須を流れていきます。これらの集落の山の森の中を流れていく川のほとりに田んぼが並んでいるのが見えます。

この山あい近くの細山田周辺には、串良川の流れを東に見る笠之原台地を開拓した郷士たちの暮らしまで名残を残すような景色がひろがっています。

川は平瀬から林田橋の先、岩弘を流れ、流れのまわりには、また田んぼが広がります。大塚原前橋を渡った向こうには、大塚山が姿を見せます。大塚山は大隅半島中部辺りの広野中心にある高さ108メートルの丘陵です。頂まで歩いて散策したり、車でのぼれる公園として、整備されています。車を走らせ、頂まで行ってみました。

展望所から東に肝属平野の田んぼ地帯や、肝属山脈の山なみのこちら側の肝属川河口、その向こうに志布志へ奥まっていく湾の海が見えます。梅雨明けしたばかりの夏空の下にひろがる景色が、鮮やかに写りました。

公園の山を下り、串良川の流れを行くと、宮下交差点の向こうには、串良の繁華街が見えます。

川は岡崎や堅田を流れ、川西の先、俣瀬橋の北で肝属川と合流します。それから肝属川は河口の東串良町柏原まで流れていきます。

串良川の流れを車で下ったあと、下小原に出ると、大きな池のある公園が見えました。これは安永2年(1773年)に農業用水灌漑のため造られた下小原池だと知りました。

ふるさとの山から流れ出し、田んぼの作物を育んできた川が、山あいにも平野にも豊かな表情を見せるのを印象深く刻みながら、車を走らせ、串良の景色の中を行く1日でした。


南風図書館・館長だより(2022年6月)

梅雨入りの頃の図書館庭にもアジサイの花が咲いています。南風ガーデンや道の歩道脇の花壇にも咲いています。昨年、天神町にアジサイ園があると教えていただき、出かけました。「いこいの里」園には4000株のアジサイが咲き、花の中を歩くと心も癒されました。今年も花が咲いたと報じられており、昨年訪ねたアジサイ園の花々が思い出されました。高須町の方が拓かれ、20年以上かけて植栽されたアジサイ園だそうです。降る日々のアジサイは、目にも優しく心和みます。

この時期、ヤマアジサイやアマチャといった種類も咲くようです。散歩道には、フジバカマやドクダミなどの野草も咲いています。

ちょうど田植えも終盤の季節でしょうか、水を張った田んぼには稲の苗が風にそよぎ、唐芋畑にも苗が活着しています。

私はかつて、唐芋畑で唐芋栽培を1年だけしたことがあり、畑での耕転や畝立て、草取り、育苗など経験しました。

5月末ごろには苗植えも済みますが、この際必要な苗を冬場からビニールハウスで育てます。必要分の苗が育ち、圃場に植え付けが終わった頃に、梅雨入りしたのを覚えています。

この時、ビニールハウスのビニールに、カタツムリが這っているのを見つけました。青年だった私は童心に帰ったわけではないのですが、カタツムリを手のひらに乗っけてみました。ぬめぬめと肌を這っていきます。畑まわりには森や草むらが広がっており、カラスやヒバリ、隣地の農家小屋に飼われている犬などいろんな生き物を見ましたが、カタツムリは身近だけれど、どうしてこんな風に生きているのか、と心に子供のような興味がもたげてきました。

カタツムリは日本には約800種生息しているそうです。これは軟体動物門腹足綱に属する巻貝の仲間で、カタツムリとナメクジを合わせて、陸産貝類または陸貝というと調べました。

大触角のてっぺんに眼があり、頭の先に小触覚が、軟体部の真ん中に殻が乗っかっています。殻の巻きが右に巻くもの、左に巻くもの、違いがあるそうです。

「でんでんむしむし、かたつむり」と童謡がありますが、梅雨の時期に畑で見たカタツムリは、手のひらを這っていく姿が記憶に残っています。その頃、畑への行き帰りに歩く道にも梅雨には雨が降り、バスに乗ると運転席向こうの大きなフロントガラスにワイパーが揺れていたのを思い出します。

雨の季節、降る日々が続くと、朝の街を行き交う車がタイヤで水しぶきをあげ、雨合羽を着て高校生が自転車で走るのを目にします。

湿気過多な季節に気も滅入りそうになりますが、雲と雲のあいだから顔をのぞかす青空や陽光に、夏も近づくのを感じます。

アジサイの花がマリの形状に咲き、葉をカタツムリが這っていく季節に、ふるさとに生きる人たちも、街に生きる人たちも、雨音を聞きながら、仕事場や家の中で、仕事や家事、勉強を進めるのだろうと、想いながら過ごしています。


南風図書館・館長だより(2022年5月)

大隅半島東岸は佐多岬から肝属山脈の海側の絶崖に集落を点在させ、志布志湾まで延びていきます。かつて内之浦町だった肝付町内之浦や岸良の集落は、半島東岸に美しい海を眺める元気な街並みをつくっています。

鹿屋市から肝付町新富へ車を走らせ、高山小学校や肝付町役場を見ながら行くと、国見トンネルへ至ります。トンネルを抜け、561号線を渕尻橋の先、北方へ出ると、内之浦に至ります。

内之浦宇宙観測研究所のあることで有名な内之浦は、漁港の街として、港まわりも元気いっぱいです。

小田川の注ぎ込むところ、内之浦湾岸の港にはたくさんの漁船が停留し、漁協や水産会社の建物が建ちます。タチウオ、サイゴウエビ、イシダイ、サバなどが採れるそうです。街には活魚料理の店が並びます。特に知られているのがイセエビで、地元の方言で「えっがね」と愛称されています。

秋と春には「えっがね祭り」が開かれ、地元や訪れ来た人々が楽しむそうです。

漁港街の内之浦の裏手には、叶岳という標高187メートルの山があり、登ると、ふれあいの森として整備された公園から、内之浦湾を一望できるそうです。

内之浦湾火崎への道を眺めながら、南下すると、448号線の先、岸良海岸が見えてきます。ウミガメが上陸し卵を産むことで知られる海岸の砂浜は、遠目からも本当に美しく見えます。

ちょうど私が訪ねた季節、ゴールデンウィーク前には、川尻の手前、海岸の西側からの展望所に鯉のぼりが悠々と泳ぎ、海と白砂浜の眺めを楽しむことができました。

かつて民俗学者の柳田国男は、本土最南端の集落佐多田尻を訪ね、一泊したことが『海南小記』に記されています。

そののち、宮本常一も田尻を訪ね、その足で、大隅半島東岸を北上したそうです。大泊、外之浦、間泊などの佐多の集落から、岸良や内之浦も歩いたと,読んだことがあります。岸良や内之浦は、民俗学者の目には、どのように写ったのでしょうか。

内之浦から、さらに海沿いを志布志湾西端・肝付町波見まで道が延びていきます。垂水、小平、海蔵、飯ケ谷、有明など民家群を擁しながら点在する集落にも、車で行きながらも、人の暮らしを垣間見るように感じます。

その先、一ツ松へ至るところからは、志布志湾岸を眺めることができます。もう波見や柏原も近くの山道から、湾対岸に宮崎県串間市や都井岬を眺める海に、昔の人は何を感じ歩き見たのだろう、とロマンをかきたてられます。

波見へ至ると、肝属川河口を、波野や柏原の方角へ行くことができます。北に川の流れ来た向こう高隅山を遠くにのぞみ、その東側遥か向こうに霧島の峰々もうっすらと見えます。

内之浦や岸良の海に生きる人々は、肝属川流域の人々とも、古くから山を越えて交流があったとは想像できます。志布志湾岸とは海での行き来があったのでしょうか。今にも漁船が停留する内之浦湾の港の街並みを車で走りながら、潮風が窓の外から吹き込むのに、笑顔が湧き、元気が出てくるのを感じました。


南風図書館・館長だより(2022年4月)

春の野山を車で行くと、森の中にタケノコを見つけることがあります。旬のタケノコは、スーパーマーケットや農産物直売所でも売られていますが、タケノコごはんや煮物にしても美味しいものです。タケノコが地上に顔を出すころ、森にはメジロやウグイスのさえずりが渡り、地面にはカタバミやオオイヌノフグリなど草花が咲きます。生命萌え出る季節のタケノコは、旬に食べると体にも良いのでしょうか。

新学期の入学式や始業式を前にした野には、いっせいに花が咲き始めました。タンポポ、カタバミ、ムラサキケマン、スミレなどの草花。少し前には桃やハクモクレン。曽田坂のトンネルの手前坂道には、コブシの花が咲いていました。今は、ソメイヨシノが満開です。

花の季節、春の陽光の昼を、中学校を卒業したばかりの新高校生になる子でしょうか、私服を着て街を歩く姿が見られます。先日は、鹿屋女子高の前を、保護者の方と新一年生が、説明会があったのか、幾組も並んで歩くのを見ました。新しい季節を迎え、ふるさとの街も、少し心浮きたつように感じられます。

この季節、鹿屋市の城山公園では、春の木市が開かれています。駐車場に車を停めて、木市の会場に入ると、いろんな苗木が売られているのを見ます。市街地への道沿い広場で開かれる木市は、この季節には必ず見る風物詩ですが、今年も花の季節が訪れたのを、知らせてくれます。

ホームセンターのガーデニングコーナーにも、苗木や花の苗が売られています。庭を楽しむ方が、植えるのでしょうか。

私も、ガーデニングをちゃんとしたことがある訳ではないのですが、アサガオやハーブを庭で育てたことがあります。もう、ずっと昔に、チューリップを球根から育てたことがありました。秋に球根を土に埋めると、冬に芽が出て、茎が伸び、4月に花を咲かせます。球根から育てる花は、育てやすいそうです。水をやって育てた芽が、茎や葉を伸ばして、花を咲かせたときには、嬉しかったことを覚えています。

図書館まわりの森でも、ジャーマンカモミールやノゲシ、ハルジオン、草花が花を咲かせています。南風ガーデンでは、ハーブのミントが摘まれはじめる頃ですが、ローレル(月桂樹)も花を咲かせる季節です。ガーデンに1本立つローレルは、緑色の美しい葉が香辛料として使われるそうです。

先日は、浜田海岸に出て、松林を散策しました。松の木の根っこ土まわりに、松ぼっくりがたくさん落ちています。松ぼっくりは、夏前に緑色になった実が茶色く変色していき、越冬して成っていきます。ひとつ実を拾って、家に帰って調べると、アカマツ、クロマツなど種類のある松のうち、五葉松の実だと知りました。海岸に植えられることの多い松の林では、通年松ぼっくりを拾うことができますが、松の種類によって、実も形が違うのだと、初めて知ることができました。

新しい季節を迎え、風ひかる街の中を、ふるさとにも人が行き来します。もうすぐ、新高校生が自転車で朝の街を通学しはじめ、小学1年生がランドセルをからって歩き始めます。4月の街、新しいはじまりのふるさとに、志布志湾柏原海岸のルーピン、鹿屋バラ園のバラ、垂水高峠のツツジなど、見どころでも花が咲く季節に至るのを、今年も知ります。


南風図書館・館長だより(2022年3月)

図書館が休みの日、私は自宅から出て高隅山のすそを引く台地を散歩します。山麓の郷之原の方角へ慰霊塔公園前の通りを、住宅街を行く先には、志布志湾岸まで、高い建物ひとつない大隅半島の空が、視界の遥か向こうまで広がります。

畑地帯の中を農道が延びているため、車の行き交う道の歩道から折れて、そちらを行くと、今の季節には、ヒバリが鳴く声が聞こえます。幼少の頃から、この畑地帯を歩いてきましたが、これがヒバリだと知ったのは、大人になってからでした。空に羽をばたつかせてピーチク鳴きながら飛びとどまるヒバリが、エサを獲るために、地上に猛スピードで降下してきます。こんな不思議な生き方をする鳥がいるのか、と気づいたときには、驚いたものでした。郷之原台地の東側に、ひばりが丘という地名があり、ヒバリのさえずりが古くから聞かれたために、地名がついたのかな、と想像します。

この畑地帯は初夏になると、唐芋の苗植えをするところが多いですが、牧草の畑も多いようです。夏に伸びた草を晩夏に収穫しているさまが見られます。今はこれらの畑に、ナズナが一面に咲いています。住宅が西原に詰まって建てられる以前には、郷之原台地一帯は、春先には見渡す限りの菜の花畑が広がっていたそうです。今にも菜の花が咲くのを目にしますが、かつて一面咲いていた、というボリュームは目にも鮮やかだったろうと想像します。

歩き至った高隅山の麓から西原の方へ折り返す散歩道の住宅街に一軒家の前には、犬が飼われているのを見ました。2ヵ月ほど前から歩くようになった住宅の中の道を歩くときに、この犬の姿を見るのが楽しみになりました。車を停めるスペースに置かれた犬小屋の前で、寝そべったり、座ったりしています。

初めて、この犬の姿を見た時には、私に向かって吠えかかってきました。何日も歩き続けていると、犬の方でも私の姿を覚えて、尻尾を振ったり、寝そべりながら視線を向けたりしはじめました。いつ見ても、この家の前には車が停まっておらず、飼い主の方はどこにおられるのだろうか、と歩きながら想像したものでした。いつも一匹で留守番している犬は、私が歩いてくるのを、人待ち顔をしながら、目を向けてきたこともありました。

ある日、この家の前を通りかかると、犬の姿がないことに気づきました。飼い主の方が違うところに連れていかれたのでしょうか。少し寂しい思いをしながら、その家の前を歩き行きました。

今、その犬はどうしているかな、と不在になった場所を見ながら行く道では、住宅街の中に菜園があり、野菜や花が植えられているのに気づきました。

ふるさとの見慣れた景色の中を歩き行いても、花が咲いたり、鳥が飛んだり、日ごと変化に気づきます。すっかり春めいてきたふるさとの野に、何か新しい発見があるかも、と昼には靴を履いて、散歩に出かけます。


南風図書館・館長だより(2022年2月)

立春を過ぎた2月には、大隅半島のいろんな神社でも春まつりがはじまります。冬の冷たい風にどこか生命の暖かさが混じる旧暦の1月に伝えられ続けてきたまつりです。この1年にも田んぼでの稲作がはじまるから、と神社の境内でひととせの稲つくりを野外劇風にしたまつりや、棒踊りは民俗学的にも貴重なものとされ、地元の人や訪ね来た人の表情をもほころばせていくようです。今年もコロナ禍で中止になったり、見る人が少なかったりするところがあるかもしれませんが、梅の花や菜の花咲くころに伝えられ続けきたまつりは、寒かった冬の先に待ちかねた春が近づいてくるのを告げてくれます。

志布志の山宮神社、安楽神社では、2月初めの土曜、日曜に田打ち祭りが行われます。この祭りでは、衣装に扮した男女夫婦の田の神様の掛け合いがユーモラスに繰り広げられます。夫婦で抱き合ったり、持っているしゃもじを叩いたりしながら掛けあう様に、見ている人たちからも笑い声が湧きます。掛け合いの後は、三味線の調べに合わせて、踊り手たちが正月踊りを踊ります。

鹿屋市高隈の中津神社には、かぎ引きまつりが伝えられています。このお祭りは、雄木と雌木を掛け合わせたかぎを、上高隈の人たちと下高隈の人たちが引っ張りあうという勝負で、焼酎のしぶきが散る中を、男たちの怒号が響くのに、見ている方も興奮してきます。

南大隅町佐多では、みさき祭りの浜下りが伝えられます。2月の第3、土曜と日曜日に本土最南端佐多岬の原生林の中にある御崎神社を起点に、お神輿が浜下りをしていきます。この御崎神社の神様が、その姉君である郡という集落の近津宮の神様を訪ね、正月の挨拶をなさる、という筋立てです。2日間の道中に当たり、お神輿は、田尻、大泊、外之浦、間泊、竹之浦と、佐多太平洋岸の集落をめぐっていきます。早春の海岸をお神輿の一行が列をつくり行く詩情に、原風景を見るような気持になります。

鹿屋市田崎の田貫神社でも例祭田植神事が行われます。稲作の一連の作業を劇に見立てたように繰り広げられる神事では、かつて田んぼを耕したであろう牛の木製の人形が、男の人たちに引っ張られて走り回るのが、印象的です。

東串良大塚神社の二月踊りや、鹿屋市祓川瀬戸山神社の棒踊りなども、春の日に伝えられています。

早春、田んぼのあぜには、ムラサキケマンなど草花が咲き始めました。1年でいちばん寒い季節には、もう春が風に薫り混じります。

もうすぐ図書館近くの海岸沿いの通りを、県下一周駅伝大会の長距離走者たちが駆け抜ける頃の野に、もう、新しいはじまりがやって来るのを感じます。


南風図書館・館長だより(2022年1月)

中学生の頃に住んでいた家では勉強部屋に暖房がなく、机の下に足元を温める電気ストーブを置いて、勉強をしていました。勉強部屋に接して応接間があり、祖母が大工さんに造ってもらった火鉢が置いてあったことを思い出します。応接間で、小学校や中学校の担任の先生の家庭訪問や、親戚がやって来るのを迎えたりしましたが、この火鉢を使って、暖かくした、ということは一度もありませんでした。ロの字型になった内側のくぼんだところに灰が敷き詰められ、ここに炭か何かを入れて火を入れる仕組みになっていたのでしょうが、使ったことはない、という不思議な火鉢でした。

小学校に上がる前までには、正月には必ず通っていた曾祖父の家には、土間の奥に囲炉裏があったように記憶しています。もう小学校に上がったのちには、こたつを見ることはあっても、囲炉裏はどこにも見なくなってしまいました。郷之原の親戚の家には、掘りごたつのあるところがあって、訪ねると、こたつに入ってその下に、足を伸ばせるのが、おもしろく感じられたことがあります。

今では、冬のただ中の時期は、エアコンの暖房とか石油ファンヒーターとか、石油ストーブとかで部屋を暖めるのか、主流でしょうか。テレビのCMで見る北海道の冬は、暖炉を使って暖まった部屋で、シチューを食べたりしているイメージがあります。寒い戸外から、家に帰って、暖まるのが何よりの季節です。

私が買出しに出かけるスーパーマーケットでは、アルミホイル鍋のパックで、1人分に準備された、キムチ鍋やちゃんこ鍋、もつ鍋が売られており、夕食時にこれをよく食します。

また、湯ドーフをつくって一人鍋をすることがたまにあります。

冬の街角では、コロナ禍でなければ、おでん屋さんに入って、あったかい具を、ホクホクしながら食べるものでしょうか。

ちょうど1月の今の時期は、受験生は受験の追い込みですが、私もその当時は、部屋で机に向かっていました。夜食にホットミルクとかココアを持って来てもらって飲んで、また頑張ろうと勉強を続けたものでした。

私は何年か前からか、ココアやミルクティーを好んで飲むようになりましたが、飲み物が体にしみいると、内側からあったまるような気がします。

ちょうど冬休み明けの今は、ぜんざいや雑煮も食べると、あったかくなるでしょう。

散歩に出る時も、手がかじかむので、手袋をして歩きますが、自転車で通学していた高校時代の朝は、寒風にハンドルを握る手を包む手袋を、お守りのように感じたものでした。

街を行き来する車にも暖房が効きます。朝出かける時に、たまに氷結しているフロントガラスの氷を溶かすために内側から暖房を入れたり、外からバケツで水をかけたりすることがあります。

眠る前には湯船につかりますが、私は最近は入浴剤を使って、体を温めるようにしています。布団に入る時は、湯たんぽをいれて、足元を温めます。

かつて山小屋で仕事をしていた時も、暖房がない環境でしたが、足元だけ小型の電気ストーブで温めながら、机に向かったものでした。小学生の頃には、膝から毛布を足にかけて、勉強していたように記憶しています。

以前教えてもらったことで覚えているのが「頭寒足熱」ということです。足元をあっためて、頭を冷やして過ごす。冬の季節、暖房で頭がボーッとしてきた時には、スイッチを切って、足元の電気ストーブだけ入れて、体の状態を整えるようにしています。


南風図書館・館長だより(2021年12月)

5年ほど前の冬、稲尾岳ビジターセンターを訪ねました。稲尾岳は大隅半島南部肝属山地の峰で、山頂付近にはモミの原生林があると聞きます。半島の太平洋岸に絶崖をなすようにして、肝付町南部や志布志湾東端まで伸びていく山地は、照葉樹の原生の森が残る、重なり合う山々です。

ビジターセンターのまわりは照葉樹の森として整備されていますが、ここに至るまでに、花瀬林道の山道を車でのぼっていくことになります。その日は、すごく寒い日で、林道の脇に雪が積もり、ビジターセンターへが一層険しく感じられました。

そこで、稲尾岳の植生や野鳥、昆虫、動物などについて教えていただき、窓の外にひろがる山からの風景や、まわりの森を写真に撮らせていただきました。

小学生の時に、大人のグループに混じって、私も稲尾岳に歩いて登った思い出があります。この稲尾岳一帯、さらに錦江湾側の木場岳、志布志湾側の万九郎一帯の森は、自然環境保全地帯に指定されているそうです。

肝属山地の山々の奥深い森へ行くのに、国道269号線を南下して、錦江町城元から田代へ行く道などもありますが、先日、神川から宿利原を抜けて、半ヶ石の先、田代麓に出てみようと、車を走らせました。

図書館のある鹿屋市浜田町から、国道269号線を南下すると、錦江町神川の集落に至ります。神之川の流れる橋の手前の砂浜には、季節の催事の芸術オブジェが展示されており、車で行きながらも、目を惹かれました。

橋を渡って、神川の集落を川をさかのぼるように行くと、神川大滝公園に出ます。近年、根占の雄川の滝がすごく有名になりましたが、神川の大滝もすごい迫力で、夏場にはたくさんの人が訪れます。大滝に至るまでに、長次郎の滝などいくつか小滝があり、行く道は森の自然の静けさの中と感じます。

大滝公園から山の方へ車を走らせると、宿利原に出ます。この高台の畑地帯では、冬場にやぐらが組まれ、漬物用大根が干し掛けられます。

5年前に稲尾岳ビジターセンターを訪ねた道中に見たこの風景が、すごくおもしろかったため、また見てみたいと畑地帯に出てみました。やぐらは組まれていましたが、まだ時期が早いためか、干されている大根は盛期に比べると少しでした。これから冬の寒さの2月まで、丸太とモウソウ竹で編んだやぐらに大根が干され並ぶ光景が見られるそうです。冬の寒さのあいだに、うまみがしまり出るのでしょうか。

やぐらの組まれる畑の中を行き、宿利原の集落に出ると、宿利原小学校の校庭で、子どもたちが体育の授業の運動をしているのを見ました。ここから68号線に出て、半ヶ石の先、笠原峠を越えると、田代麓に出ます。

田代川原から雄川上流に出ると、岩タタミのような岩床が流れの脇に露になっている花瀬公園に出ます。

近くには、森の中の清流のニジマス釣り場が夏場にオープンします。また、ブドウ狩りのできる農園や、キャンプ場もあります。

稲尾岳ビジターセンターへは、花瀬から橋を渡って南下していくと、行くことができます。この原生林の奥深い山々の山道からも、肝属山地の峰の姿を見ることができます。初冬の少し冷たい風が、山の森の木々を鮮やかに映わせているのに、心も引き締まるように感じました。


南風図書館・館長だより(2021年11月)

10月なかばには、散歩する瀬筒のバス通り脇の田んぼを、コンバインで稲刈りが進んでいました。いまは収穫も終わり田んぼの土が露になっています。

出水にツルが越冬に飛来し始めたと報じられていますが、瀬筒の田んぼや郷之原の畑でもツルでしょうかサギでしょうか、首の長い鳥が佇んでいるのを目にします。もう少し野鳥に詳しければ、名前を調べられるのになあ、と思いながら歩いています。

秋には森も田んぼも畑も、収穫や実りに色づき、歩いていても楽しくなります。花畑裏から瀬筒への山道では、栗のトゲトゲの実が落ちていました。近くにはショウガの白い花が木々の根元に咲き、山道を集落に出たところの土手には、エノコログサが風に揺れていました。

エノコログサは秋になるとよく見る草花ですが、あまりに身近すぎるため、歩いていても気にならなかったのが、たまたま図鑑で調べてみると、すごく親しみの湧く草花になりました。花の穂が子犬の尻尾のように見えるため、その名がついたそうです。別名はネコジャラシと言うそうです。道端、空き地、畑などによく見られ、風に揺れるのが、すごく気持ちよさそうに見えます。

この時期は、他にススキもよく見ますが、よく似たオギという花もあるのだ、と知りました。これらに混じって、セイタカアワダチソウも黄色い花を盛りに咲かせています。

バス通り脇の森の端の木々の枝からは、カラスウリの実が垂れているのが見られます。この実を初めて見た時、何も知らなかった私は、アケビの実だろうか、と思ったものでした。熟すと甘くなり、鳥がよく食べるそうです。

図鑑を眺めていますと、この季節にはノブドウも実をつける、と写真が載っています。けれども実は食べられないようです。かつて住んでいた家では、祖母が育てていたブドウが、庭の地面から柱にツルを這わせ、2階のベランダにたくさん実をつけていたのを思い出します。

休みの日に、自宅近くを散歩していると、キクイモの黄色い花が咲いているのを見ました。この時期は、畑地帯には何といってもコスモスが美しく咲くのが印象的です。

他に、ノコンギク、トレニアなど草花が道脇によく咲いています。花壇に咲くといわれるノゲイトウが道脇に咲いているのも目にしました。

図書館庭の花壇には、シコンノボタン、ヒャクニチソウ、マリーゴールド、センジュギクなど咲いています。

南風ガーデンでは、今、ハーブのローゼルが収穫の盛りです。ローゼルはワタ(綿)やオクラと同じような一年草で、萼や苞と葉を食べることができます。萼をカップに入れて、お湯を注いで飲むと美味しく、このハーブティーを「ハイビスカスティー」と呼ぶそうです。鮮紅色の美しいハイビスカスティーは、飲むと爽やかな酸味があって、疲労回復などに効くと言われています。

ガーデンには柿の木も1本ありますがちょうど実をつけているころでしょう。これからプロムナードの脇にはツワブキの黄色い花が咲きます。立冬を過ぎると、南国にも冷たさの混じる風が吹き始めます。

ちょうどこの頃、キーキーと鳴く鳥の声をよく聴き姿を見るようになりますが、これはヒヨドリという鳥だ、とつい最近知りました。

秋の散歩道は歩いていると楽しいものです。収穫の一段落した田園に咲く草花や佇む鳥たちも、冬支度を前に、過ごしやすい風に吹かれています。


南風図書館・館長だより(2021年10月)

鹿屋から鹿児島空港へは、自家用車かリムジンバスで行くことができます。リムジンバスは、笠之原発東九州自動車道経由か、牧之原経由かどちらかです。東九州自動車道が鹿屋まで開通する以前は、必ず牧之原を経由せねばならず、福山町亀割峠の東まで、山道をバスで揺られたものでした。

この道は、国道504号線。鹿屋市北田交差点を起点に、鹿屋市祓川から高隈、輝北を抜け、福山町牧之原で、国道10号線と交わるまで延びます。のち、10号線を行った国分から、さつま町、高尾野町の先、出水まで延びていると、地図で確認できます。

鹿屋に住む私たちは、鹿児島空港に出る際には、他に、国道220号線を垂水の先、錦江湾岸を福山町から、自家用車で行くこともできますが、やはりバス通りの山道504号線を行くことが多いです。

504号線は、高隅山の大篦柄岳や御岳の東側の山懐を行く道で、車で走りながらも、ふるさとの山に生きる人々の暮らしを垣間見るように感じます。

鹿屋市北田交差点から、打馬や王子町の先、鹿屋大橋の下を抜け、祓川へ向かって走る西を、肝属川の流れが流れてきます。祓川橋の先、肝属川が道の東側から流れ抜けてくる地点に、古いめがね橋が残っています。鹿屋市文化財の大園橋です。明治37年完成の古い橋が、石造りのままに残されています。大園橋は、現在、撤去するかもとの議論がありますが、地元の人たちに愛されてきた貴重な橋です。

肝属川が東に流れるのをさかのぼるように行くと、左手には、御岳の麓、瀬戸山神社があります。何といっても、鳥居前の桜並木の美しい神社には、春の日の棒踊りが伝えられています。桜の花が満開になる頃、地元の少年たちが白装束に棒を持って、歌い手の古いしらべに踊る様は、懐かしさで心いっぱいになります。

上祓川の先、三角の先に、高隅小学校や高隈中学校のある集落には、串良川が流れてきます。高隈の総鎮守中津神社には、2月第3日曜日に「かぎ引きまつり」があります。雄木と雌木を掛け合わせたかぎを、上高隈と下高隈の人々が引き合う勝負は、焼酎のしぶきが散る男たちの怒声の熱狂に、見ている方も興奮に高まります。勝った方が豊作になる、と伝えられるまつりは、大隅半島に伝わる春まつりの中でも、特に良く知られています。

504号線をさらに北上すると、高隅ダムの大隅湖に出ます。古く水不足だった笠之原台地に灌漑のために造られた人造湖です。高隈の森に囲まれた湖は、まわりを自転車などで行けるようになっており、四季折々の花を楽しめます。

さらに行くと、輝北町百引の集落には、大圓寺というお寺があります。その先、市成から山道を西に行くと、きほく上場公園に出ます。牛の牧場を見ながら、錦江湾からの潮風にまわる風力発電の風車の下に出ると、西に桜島を、南に車で走ってきた高隅山を鹿屋とは逆の方角から見ることができます。

市成には日枝神社があり、牛馬の神として、あがめられているそうです。また、登見ヶ丘の麓には、古いお寺の山門にあったという仁王像が残っています。

仏山の先、福沢を抜け、牧之原に出ると、国道10号線と交わります。国分の方へ折れ、亀割バイパスを行くと、左手に、日本列島でも最古の大規模な定住集落があった上ノ原遺跡があります。縄文時代から近世にかけて9つの土層に遺跡が確認された複合遺跡です。遺跡まわりには、県立埋蔵文化財センターがあり、遺跡の先を突き当りに出ると、国分平野を一望できます。

その先、鎮守尾を抜け、敷根の検校橋を渡ると、天降川流域の国分に至ります。鹿児島空港へは、ここから日当山の方角へ走ることになります。

鹿屋市街から504号線山道を走るのは、辺境の街から隔てるふるさとの山に、古くから仰ぎ見られたものの中を行くように感じます。

山に生きた人たちが、森の中にどんなことを感じてきたのか、車で走りながらも、畏怖か敬虔か、窓越しの風景にも、心に湧いてくるようです。


南風図書館・館長だより(2021年9月)

夜は随分涼しくなり、少し冷たい空気の空に星の瞬きや月の光が美しい季節となりました。草むらからは虫の音が聞こえ、田んぼの畔に彼岸花が咲き始めたのを目にします。

彼岸まではあと2週間ほど。彼岸の頃には、暑さもぐっと和らぎ、過ごしやすい風に吹かれるようになります。

この頃は、月の季節と言われます。今年の仲秋の名月は9月21日。お月見をする家庭もあるのでしょうか。私が幼かった頃には、この秋の満月の晩に、相撲を取る風習が残っていました。同学年の近所の子たちに負けないように、立ち合いの練習をしてから、土俵がつくられた会場の空き地に出かけて行ったものです。3人抜き、5人抜きの勝負もあり、体の大きな子が次々と土俵を割らせて勝っていく姿に、憧れのまなざしを向けたのを思い出します。今でも満月の日の相撲大会は続いているのでしょうか。

今年は5月26日が皆既月食でした。スーパームーンの皆既月食と報じられ、私も図書館近くから写真を撮ろうと出かけましたが、雨により見ることができませんでした。翌日の朝刊に、晴れたところから撮られた月食の写真が載っていたのを見ました。10年近く前の月食の時には、高須川流域から写真を撮ったのを覚えています。

美しい月光で忘れがたいのは、深夜の桜島フェリー展望デッキから眺めた月です。桜島フェリーは、鹿児島港と桜島袴腰を24時間運航していますから、鹿児島で過ごして遅くなった時には、乗船します。24時前だったでしょうか、動き出したフェリーの向こうに、鹿児島の街の灯が遠くなっていく海上の空を、月が煌々と照っていました。錦江湾に月光が落ちて波面に揺れるようで、甲板から幻想を眺めているようでした。

桜島港近くの袴腰には月読神社があります。桜島港あたりから錦江湾上の夜の月を眺めるのは美しいだろうなあ、と想像します。

いちど志布志湾岸夏井海岸から月を眺めたことがありましたが、ここでも月光が海面に揺れ、人気(ひとけ)のなさに畏怖を感じたのを思い出します。

隔年9月第4土曜日には、肝付町高山本町で八月踊りが奉納されます。仲秋の名月の日ではありませんが、月の美しい秋の宵に、頭巾で顔を隠して芯笠をかぶった女性たちが、やぐらのまわりに踊り始めます。三味線の音が響き、灯が光る古街に紋付羽織に芯笠をかぶった男の人や、若い女性も踊ります。若い女性は顔を出して、浴衣姿で踊ります。

大人の女性が顔を隠して踊るのは、秘め事を宿しているように感じられます。古くから伝えられてきた踊りそのものが秘儀のようにも見えます。

優雅な踊りの奉納のちの日には、近くの四十九所神社で10月に行われる流鏑馬のために、射手の少年が馬場を馬に乗って特訓していることでしょう。

図書館まわりの散歩道に見る田んぼでは稲穂がつきはじめたのが見られます。白鷺が羽を休めながら佇み、トンボが飛び交わすのも目にします。

夏の名残の陽光が昼間には照りますが、心には少しゆとりが出るように感じます。

8月22日の日曜日は満月でした。郷之原を車で行く空に、大きな月が畑地帯や街の建物の上に光っていました。

月の満ち欠けや月齢には、私は詳しくはありませんが、お月様に見る情緒は、やはり仲秋の頃を思い出させます。

実りの季節へ至っていく頃の夜空に、古から、ふるさとの人たちも、月には何を託し見てきたのでしょう。

今年も、仲秋の日が晴れたら、夜空の満月に、願いごとか憧憬か、心に去来する何か想いを、馳せ見ることになるのでしょうか。


南風図書館・館長だより(2021年8月)

大隅半島東岸志布志湾岸には、古墳群が点在しています。特に有名なのが、唐仁古墳群と横瀬古墳です。

唐仁古墳群は東串良町の肝属川左岸の水田地帯にあり、124基の高塚古墳が現存しています。このうち前方後円墳が4基、円墳が残り120基。中でも唐仁大塚古墳は鹿児島県最大の前方後円墳で、後円部は神社になっています。大塚古墳は九州でも4番目の大きさの古墳です。この古墳は、古代の大隅の豪族をまつったものでしょうが、それはどんな人物だったのかロマンをかきたてられます。他に薬師堂塚、役所塚と呼ばれる古墳も、唐仁の集落の中に、前方後円の形を今に残しています。

横瀬古墳は志布志湾の海沿い、大崎町の横瀬に単独で存在しています。全長130メートル、高さ6メートル前後の前方後円墳で、柄鏡状の形がそのまま残っています。ここからまわりを見ると、志布志湾向こうの宮崎の方に遥かに空がひらけ、西には高隅山が遠くに稜線を見せます。風が古墳まわりを吹き、ここにまつられていた人物が、何を今に語るのか、想いが湧いてきます。横瀬古墳からは円筒埴輪が出土し、鹿児島市の博物館に展示されているそうです。

唐仁古墳群から肝属川にかかる橋を渡り、肝付町街の方へ走る塚崎の台地には、塚崎古墳群があります。前方後円墳4基の他、円墳39基、南九州に特有な地下式横穴という墓が10基あまり。唐芋畑の中に古墳が点在しています。

塚崎古墳は4世紀初めに造られはじめ、唐仁古墳は4世紀末に、横瀬古墳は5世紀中ごろに造られたそうです。

ちょうどこれらの古墳が造られる頃、肝属川下流の志布志湾岸で、水田開発が盛んに行われたのでしょうか。

横瀬古墳近くの大崎町神領には、神領古墳群や飯隈古墳群があります。8月の休日に、飯隈古墳群をたずねてみました。民家駐車場脇に1号基の前方後円墳がありました。古墳の前に大きな看板があり、それによると、近くには古墳の他、お寺の跡や石塔も残っているとのことでした。

志布志湾から東側に延びる日向灘沿いの宮崎県の西都原古墳群は、九州最大の男狭穂塚古墳と2番目に大きい女狭穂塚古墳がある特別史跡です。福岡県の八女市や、熊本県の山鹿市にも大きな古墳があるそうですが、そんな時代にふるさと大隅半島でも豪族たちが古墳を残した背景に、どんなことがあったのでしょうか。

鹿屋には古墳時代の遺跡はたくさんは残っていませんが、祓川の地下式横穴から単甲(ヨロイ)と衛角付兜(カブト)が出土し、中央公民館に展示されていると聞いたので、見に行きました。すると8月から行われている志布志の埋蔵文化財センター企画展に、今は展示されている、と案内いただき、後日見に行きました。

そこでは神領古墳群近くの原田古墳から新たに出土した単甲や石棺とともに、祓川の単甲も展示されていました。

原田古墳や秡川の地下式横穴に1000年以上眠り続けていた副葬品。

2006年には、神領古墳群から兜をかぶった人間の埴輪が出土しました。「武人埴輪」として有名な埴輪は、厳密には考古学上は「盾持人埴輪」と呼ばれるそうです。

ふるさとの古代の人間が残した古墳や副葬品を目の当たりにすると、今に生きる私たちもタイムスリップするかのような歴史物語を感じます。

眠りつづけながら時間を閉じこめられていた土の中から掘り起こされて、現代に語り始めるようです。


南風図書館・館長だより(2021年7月)

沖縄や奄美大島で梅雨明けと報じられ、鹿児島でも夏の高校野球甲子園大会の県予選が始まりました。もうすぐ錦江湾の空南の方に、入道雲が白く輝く夏本番だと、雨の季節の終わりを待ちます。

夏本番になると、太陽の光の下で、汗を拭うようにして過ごしますが、私は、7月や8月の昼下がりに、眠くなることがよくあります。もともと、夜よく眠れるタイプではなく、睡眠不足だからかもしれません。けれど「夏は眠い季節だ」と本で読んだことがあります。

かつての勤務先では、事務所で仕事をしていると、必ず14時ごろに眠気が来るので、蝉しぐれを聞きながら、少し離れた誰もいない部屋に移動して、長椅子に横になって眠ったものでした。

秋冬春には思わないのですが、夏の昼下がりに寝るのは、他に替えがたい時間のように感じます。

20歳の頃、西原台小学校の裏山に上った時、頂の森の脇に、木の枝と枝にハンモックを吊ってあるのを見たことがあります。ハンモックの下にはマンガ本が積まれてありました。こんなところで、森の風に吹かれて寝ながらマンガを読むのは、気持ちいいだろうなあと思いました。

テレビで、大都会のビル街に、仮眠するためのベッドルームがある、と見たことがあります。疲れているときに、少しだけでも眠ると、頭がスッキリして、また仕事を頑張ろう、と思えるものです。

かつては私も不規則な生活で、休日に寝だめをすることが多く、夜12時に眠って翌夕方の17時頃起きたりしていました。17時間ぶっ通しで眠ったわけですが、「そんなに長く眠ったという話は聞いたことがない」と言われたりしました。

バイト先で気づいたら立ったまま眠ってしまったことがあり、その時は、自分の首がこっくりするのにびっくりして目を覚ましました。

もうそんな生活はしていません。日中仕事をするには、夜しっかり眠ることも大切なのでしょう。

浜田町は静かな海や森、田んぼや畑といった刺激に乏しいところですが、ここで仕事をすることの替えがたさのひとつが、夏の昼寝です。

図書館で仕事を始める前、私は南風ガーデンの山小屋で仕事をしていました。疲れて、サッシを開けたまま、床に横になっていたら、いつの間にか眠ってしまっていました。目が覚めると、森の中を吹き抜けてくる風の中に横になっている自分に気づき「どれくらい眠っていたのだろう」と自問したものです。

図書館の事務所で仕事を始めてからは、休憩の時は、机にうつぶせになって眠っていましたが、ゴールデンウィーク前に、横になって眠れるようにと、オフィス家具の通販サイトで、リクライニング椅子を買いました。

背もたれが、170度後方に倒れる椅子で、休憩時に横になると、重宝します。床屋さんで髪を洗うときにリクライニングする椅子みたいだ、と感じます。

梅雨の晴れ日に、この椅子に横になりながら、眠ってしまいました。目が覚めると、頭がスッキリしていて、体中の細胞がいきいきとしはじめたような感覚にもなりました。

かつて自宅の庭の木の根っこの影に、白猫が体を伸ばして、気持ちよさそうに眠っているのを見たことがあります。あんな風に眠れるのは幸せだろうなあ、と思いました。

嫌なことがあった1日も一晩眠って、朝起きたら、また頑張ろうとも思えます。夏の昼下がりに、潮風に包まれて眠る幸福に、目を覚ましたら、見慣れた海の景色が、鮮やかに思えます。ここで、しっかり頑張れると、椅子のリクライニングを戻して、また仕事に取り掛かります。


南風図書館・館長だより(2021年6月)

ゴールデンウィークが明けたら、九州南部はすぐ梅雨入りとなりました。5月なかばは雨の天候が続き、長梅雨となりそうな日々に滅入りそうにもなりましたが、意外と最近は晴れ日和が多く、夏が近づくのを肌で感じます。

6月5日は、24節季の「芒種」で、田植えの季節だと報じられていました。高須川流れる野里の田んぼ地帯でも、田植えの作業が進んでいるのを目にします。あと一月半もすると、苗が育って茎を伸ばし、入道雲映える夏空の下を、田園中青々と風に揺れる美しい風景になります。

仕事の合間に散歩する道中の瀬筒あたりでも、休耕している田んぼはありますが、田植えの作業をしていました。瀬筒付近を散歩していると、こういった田んぼや民家の脇から、小道が延びているのに、よく出くわします。どこへ延びていくのだろうと、その道を歩いていくと霧島ヶ丘の東側の麓の森に、思いがけない発見をすることがあります。

瀬筒バス停の東には、落慶観音というお堂があり、その脇を農道が延びています。この道を歩いて森の中に入ってみると、田んぼに引く水でしょうか、脇の水路を流れるのを見ました。しばらく歩くと、道は行き止まりになっていました。

先日は、永吉バス停の手前、椿の木立前の民家の手前から、丘の麓へ延びている道を歩いてみました。ゆるい上り坂を歩いた先に、畑地帯が広がっています。唐芋の栽培が盛んな大隅半島ですから、芋畑だろうと思いながら眺めておりますと、手前から森へ向かって、小道が延びているのを見つけました。これはどこへ至る道か、と歩くと、しばらく行ったところに、自転車など2輪車の通行を止めるパイプの柵が立てられていました。2か所に立てられた柵のあいだを通って、先に歩くと、森の中に至ります。野鳥が鳴き交わし、木々の枝がざわざわ揺れます。「ヘビが出ないかな」と不安になりながら行った先に、少し見晴らしが良くなったかと感じていたら、大きな池があるのに気づきました。濁った水が森の中に溜まり、その淵を木々の枝が垂れ伸びています。

びっくりしながら、先を見ますと、池の北側に、道は森の中にさらに延びていました。少し怖くなって、また今度しっかり覚悟してから探検しようと、引き返しました。

後で調べて分かったのですが、瀬筒や浜田の田んぼ地帯は、昔から溜め池の水を引いて、稲作をしてきたようです。瀬筒から峠を上った先、海水浴場の方へ下っていくと、坂元温泉の手前にも、池があります。この池も、田んぼの用水なのでしょう。

浜田の集落の東側にひろがる田んぼ地帯は、東に横尾岳をのぞみ、北には丘、南には錦江湾向こうの開聞岳を眺める海がひろがります。いつから、どんなところから、ここに人が住み着き、農生活や漁生活を営んできたのでしょうか。

浜田の産土、玖玉神社の鳥居の手前には、田の神像が一基立っています。神社の縁起由緒を記した碑には、創建は890年前。かつては雨乞いの儀式などもしていた、と記してあります。

池を作って、水を引いて、という灌漑の工事をして、稲作を続けてきた地に、今年もまた田植えの季節がめぐってきたのです。

高須川流域の野里の田んぼ地帯、浜田や瀬筒に生きてきた農家。空を見上げ、雨よ降れ、日よ照れと、収穫まで稲の苗を見守る作業を伝え続けてきたのだと、降る季節の田植え風景を、感動を心に混じらせながら眺めました。


南風図書館・館長だより(2021年5月)

先日の昼下がり、いつも通り散歩に出て、駐車場脇の山道から、霧島ヶ丘公園へ至る舗装道を渡って、瀬筒集落に出る森の小道を歩いていました。錦江湾からの潮薫る風が木々をざわめかせ、木漏れ日がチラチラします。歩く先の木々のあいだから、陽光が地面に落ちて光だまりになっているところに、白い花が咲いているのをみつけました。

これは・・・、と思い、見てみると春先に咲く黄色い菜の花に形が似ています。花の下方へ視線をやると、根状の白い太い野菜か果実からか、上に茎が伸びています。これは大根だとわかり、花をよく見てみました。どうして、こんな山道に土から掘られた大根が置いてあるのか、という素朴な疑問は別にして、花がきれいなのに驚きました。

調べてみると、大根の花は春に咲くそうです。けれども畑で栽培されている大根は冬に収穫しますので、花を見ることは稀だとのことでした。白い花は食卓の料理に使われる野菜としての大根にふさわしく、飾り気のない潔白さが印象的でした。

駐車場西の山道に入るところの手前には、油桐の群木があります。4月のなかば頃だったでしょうか、枝に若葉がつきはじめ、いま茂った葉が気持ちよさそうにそよいでいます。これから枝に白い花が咲き、目を楽しませてくれるようになります。5月から6月のあいだに咲く花の花びらが地面に落ちて敷き詰められるのを見ると、夏が近づいてくるのを知る雨がちな季節にも、優しい気持ちが湧いてきます。この油桐の木は夏になると実をつけます。毎年毎年、緑色の実が地面に落ちて、秋へ至っていくのを知らせてくれます。冬のあいだは葉っぱをすべて落とし、また春になると若葉がつきはじめます。

図書館が休みの日には、私は郷之原台地を散歩していますが、畑地帯の中に芝生の広場があり、高隅山側の縁に、ソメイヨシノが5本ほど並んでいるのを見ます。4月に咲いた桜の花が散り、いまは葉がそよいでいます。調べてみますと、5月下旬から6月下旬ごろに実がなるそうです。葉は11月の終わりごろに落ち、冬を越して、春に至ると、花が咲き始めるとのことでした。

作物や樹木が1年1年、必ず葉を茂らせたり、花を咲かせたり、結実させたりする先に、季節の訪れを知りますが、いま初夏の野に農作業も進んでいます。

瀬筒の田んぼ地帯では、田に群れ咲いていたレンゲごとトラクターで田起こしをしていました。浜田では、田植えの終わった苗が風にそよぎ、田んぼに引きいれる水が流れる音とともに、蛙の鳴き声が聞かれます。

唐芋畑では、トラクターで耕す作業の他、畝をつくって苗を植える作業が始まりました。

野元では、レタスの収穫をしているのが見られます。郷之原台地を歩いていたら、根っこに球状についた野菜を収穫しているところに出くわしました。タマネギかな、ニンニクかなと思いながら、収穫作業を少し見学しました。また、牧草を刈り取っている作業も目にします。トラクターのような車が草むらの中を走ると、草が地面から刈られ、ロール状に丸められていきます。畑の中にいくつもいくつも刈り取られた牧草のロールが並んでいました。

立夏の頃の田園には、農家の屋敷庭に鯉のぼりが悠々と泳ぎ、気持ちのいい風が吹いてきます。雨の季節も近づきますが、木々も花も作物も、雨粒に降られながら、呼吸し成長し生きているのだと、ふるさとの生命豊かな田園風景を眺めます。


南風図書館・館長だより(2021年4月)

桜の木に若葉がそよぐ新しい始まりの春は、ふるさとでも花の季節です。大隅半島にも花の見どころがたくさんあります。これから初夏にかけての気持ちのいい風吹くころには、ゴールデンウィークのドライブや行楽に、ふるさとも花やぎます。コロナ禍で花まつり中止のところもありますが、例年にはたくさんの人がやって来ます。

南風図書館や南風ガーデンハウスの北、丘の上の鹿屋バラ園は4月29日から6月6日がバラ祭りです。日本最大級のバラ園に、いろんな種類のバラが咲き誇ります。3万5千株のバラが咲くお祭りの期間中、いろんな催しが開かれます。春に咲くバラと秋にも咲くバラとあるため、秋にもバラ祭りが開かれます。

鹿児島市から桜島フェリーや垂水フェリーで大隅半島に着いたところの垂水市繁華街から、71号線を高隅山の森の中を行くと、高峠公園に出ます。高峠は、この季節、全山がツツジの花で染め上げられます。このツツジは通称「高峠ツツジ」といわれ、約100種の10万本以上が自生しているそうです。公園から、高峠の頂上まで歩いて登ることができます。30分ほど歩くと頂に至り、北に桜島、南に高隅山を見晴らせ、森を吹き抜けてくる風に笑顔になります。残念ながら、今年はツツジ祭りは中止だそうですが、丘全体を咲くツツジの群木に、ピクニック気分で弁当を食べたり、宴をするのは、この季節の楽しみでしょう。

垂水市から錦江湾岸沿いを南下し、古江や高須、浜田を経て、錦江町の神川の滝や雄川の滝、さらに本土最南端佐多岬へのドライブも楽しいものです。道中、大根占から448号線に折れ、田代麓から雄川流域を山の方へ向かって走ると、花瀬公園に出ます。公園に流れる幅170メートルの川床が、数キロに渡って石ダタミ状に露になっています。石ダタミにゴザを敷いて宴をしたり、石ダタミの岩と岩とのあいだを流れる川の水で遊んだりできます。花瀬公園の上流には、ニジマスの釣り場があり、森の中の清流に、この季節にも、たくさんの人が釣り糸を垂れています。

大隅半島東岸志布志湾岸でも、ゴールデンウィーク中には、おまつりが開かれます。肝属川河口の東側、白砂青松のはじまる柏原海岸では、柏原大相撲が開かれます。地元の小学生、中学生の取り組みにはじまり、有名高校相撲部員の取り組みもあります。力士による「赤ちゃんの土俵入り」もあります。力士が赤ちゃんを抱いてドスコイと四股を踏むと、赤ちゃんが病気をしないというので、お母さんたちが長い列をつくって土俵下で待ちます。また地元の婦人による「相撲甚句踊り」もおもしろいです。化粧まわしをつけた婦人たちが、三味線の激しい調べに合わせて土俵入りし、ドスコイと四股を踏むのは圧巻です。

柏原海岸では、4月には、砂丘にルーピンの花が群れ咲きます。志布志湾の砂丘を染めるルーピンの花は、かつて田畑の有機肥料として種を蒔かれていました。けれど、一時、化学肥料が出回ったことにより、栽培が途絶えていたそうです。地元の人たちによって、新たに種を蒔かれたルーピンは、ふるさとに季節の歓びを蘇らせました。今年はコロナ禍で中止となりましたが、例年ルーピン祭りが開かれ、花畑を愛でるほか潮干狩り大会など、地元や遠方からたくさんの人がやって来る、季節の風物詩になっています。

志布志市の宝満寺では、お釈迦祭りが開かれます。お釈迦祭りも今年は中止ですが、例年はシャンシャン馬に乗った花嫁さんたちが、志布志の街をお寺まで練り歩きます。お釈迦様の誕生日の陽暦4月8日を祝うお祭りだそうです。色とりどりの花で屋根を飾った花御堂のまわりに、お釈迦様の像に甘茶をかける人たちが列をつくります。

花やぐ季節を迎えたふるさともコロナ禍にあって交流し難い事態ですが、違わず廻り来た春に、心は少しだけ浮くようになります。早くコロナが収束し、また笑顔で季節のお祭りを迎えたいと、今年の4月の風に吹かれます。


南風図書館・館長だより(2021年3月)

普段散歩する図書館東側の森の中の舗装された道を行き突き当りのバス通りを、左の方へ折れると大姶良方面へ出ますが、右へ折れると浜田海水浴場前から延びてくる国道269号線に行き至ります。

森の中の道(この道脇では、今、道幅の広い道路を新たにつくるための工事が行われています)の行く突き当りは、横尾岳への林道入口をバス通りの向かいに見る、峠のてっぺんです。

バス通りを大姶良方面に歩いていくと、時々、大泊行きのバスが上り坂を上ってくるのを見ることがあります。大泊は本土最南端佐多岬へ至るロードパーク近くの集落です。鹿屋からは車で2時間ほどかかる距離にありますが、歩きながら、バスの窓の内側を見ると、週末などには、下宿先から実家へ帰る高校生たちでしょうか、乗車しているのに気づきます。

時々、普段、散歩するのとは逆方向、峠を海の方へ下って歩くことがあります。東側に横尾岳からの斜面森がひろがり、歩いていると、森から野生猿が道に出てくるのを見たりします。下っていくと、西側に、それまで歩いてきたところからは木々の茂みに隠れていた、浜田の田んぼ地帯が見えてきます。その北に図書館や南風ガーデンのある霧島ヶ丘が見え、さらにその北に高隅山の稜線が見えます。高隅山の稜線の西側の根っこの向こうには桜島が見えます。

西側に、そんな見晴らしの景色を眺めながら坂道を下ると、左手(東側)に池が見えてきます。この池は天然のものか人工のものなのか私は知りませんが、森の手前に水をたたえた風景が、眺めていると楽しくなります。池の脇から延びる道を森の方へ行くと、坂元温泉という浴場に出ます。

池の先、バス通りを歩き続けると、左手に郵便局。やがて国道269号線に行き当たります。左折すると、錦江町、南大隅町、佐多方面。右折すると、高須、古江、垂水方面へ向かいます。269号線を右へ折れ、錦江湾からの潮風に吹かれて歩くと、思わず笑顔になってしまいます。

理髪店や食堂など地元の店を通りの右側に見ながら西へ歩くと、浜田海水浴場の駐車場が見えてきます。国道から駐車場へ降り、トンネルを通って階段を上がると、海水浴場前の公園へ。遊歩道を直進すると、階段の下に海岸の砂浜がひろがっています。

階段の中ほどから、その高さで松林が東西に延びています。秋には松ぼっくりを拾ったこともありました。砂浜は階段を下りたところから西へ延びていきます。浜田の向こう、高須の民家群前を延び、矢筈島のあたりまで延びる砂浜は、向こう側は高須海水浴場へつながります。

浜田海水浴場は、夏休みには地元の家族連れがやって来ます。南には対岸薩摩半島の開聞岳をのぞみ、晴れた日には錦江湾の向こうに硫黄島が見えます。

詳しいことは知らないのですが、江戸時代に、薩摩半島から大隅半島に移住する人配(にんぺ)という施策の際、やって来た人たちは、この海岸から、私が散歩時に峠から下ってきた道をのぼって、移住先へ向かったという話を聞いたことがあります。

初冬に海岸にやって来た時には、白サギでしょうか、波打ち際に立って、私の姿を見るや、羽をひろげて西の方へ飛んでいくのを眺めたこともありました。

海岸から階段を上がって、トンネルを抜けて、駐車場に戻ると、北に廃校になった浜田小学校の校舎が見えます。その手前に公民館があるのも見えます。

国道269号線に戻って、しばらく行った先、浜田の集落民家が建ち並ぶ中を、霧島ヶ丘の麓の方へ向かって歩くと、太陽光発電パネルの発電所や、デイケアサービス施設の建物を見ます。上りきった先、高須大橋南の交差点から延びてきた道を、右へ折れると、南風ガーデンハウスや、南風図書館に戻り至ります。

静かな海近くの集落で、昔の人はどんな暮らしをしていたのかをも思いながら、今にもカンキツの畑や唐芋畑を見て散歩する道に、潮風に吹かれて、美しい風景に魅せられます。


南風図書館・館長だより(2021年2月)

立春を過ぎ、図書館庭にも梅の花が咲き始めました。図書館オープン時に移植した紅梅で、大きくはない木ですが、冷たい風の中に咲いています。

南風ガーデンには、紅白1本ずつ梅の古木があります。ガーデンのゲートから坂道をハーブ園へ下っていく左手、段々になっている木立の真ん中の段に、今年も花を咲かせています。この古木は、ガーデンを開く前に土地を所有されていた松園さんにとっても自慢の木だったようで、寒風に咲く姿が、まなこ見晴らさせます。この2本は2年ほど前に、鹿児島市の緑化センターの方に剪定していただきました。木の枝の伸びたところを刈ると、花咲く冬にも、一段ときりっと見えます。

図書館の西、南風ガーデンの前の通りを高須大橋からの道との交差点に向かって走ると、左手に高須中学校有林の梅林があります。高須中学校が閉校してしまったからでしょうか、手入れができなくなっているのか、少し荒れています。いま1本1本の木のまわりの蔓や雑草のあいだから、咲いている花の姿が見えます。

 図書館駐車場西脇の山道から霧島ヶ丘公園バラ園裏へ延びる道に出て、展望台の下を通って、浜田町集落の庚申塔脇へ降りていく道中にも梅林を見ました。夏に発見した群木でしたが、今、花を咲かせていることでしょう。

一昨日には、図書館駐車場西脇の山道から直進した森の道を行き、折れた横尾岳入口バス停への上り坂に出る農道を歩いていると、梅の花にメジロが蜜を求めて飛び回っているのを見ました。

今年も暖冬で、春は名のみの風の寒さや、とまでは実感しませんが、昔から愛でられてきたこの季節の梅には、古の人も花に感じた心を呼び覚まされるようです。

図書館東の大姶良方面へ延びていく道脇や、郷之原台地の唐芋畑脇には菜の花が群れ咲いています。黄色い花が風に揺れる風景は、寒さの中を行く身に、笑顔を湧かせます。もう、ムラサキケマンのような草花も咲き始めました。ニリンソウというのでしょうか白い草花をたまに目にします。白い可憐な花が必ず横並びに2輪咲いているのですが、図鑑で見たニリンソウかは、確かにはわからないでいます。

郷之原のトンネル前から権現山の麓へ延びていく道のはじめのところにも梅の群木があります。この道を大浦の方へ車を走らせていくと、山すその農家の屋敷まわりの庭木が目を惹きます。小川の脇の岩の上に建つ小川観音、その前の庚申塔を見ながらさらに行くと、お寺の先に梅の群木があるのを見つけました。さらにこの道を祓川への下り坂手前まで出ると、市民のいこいの森運動広場前に山茶花の群木を見ました。かつてこのあたりが広場として整備される前には、梅林があったと記憶しています。高隅山の麓、南に唐芋畑地帯のひらける農村にも、この季節の花は、春めいてきた風に、心もほころばせてくれます。

山の麓から、郷之原トンネルのバイパス道220号線に出ると、道脇に梅に似た木の並木があり、いま花が咲いています。これは何という木だろうと調べてみたら、どうもカワツザクラのようです。

寒に入っていた1月に図書館の窓から眺めていた錦江湾の海は、冷たい風に波を立て、湾対岸の開聞岳も冬景色の厳しさを見せましたが、節分を過ぎ、潮風にもどこか香しさが混じってきたように感じます。

新聞に大学入試の志願状況が載り、プロ野球やサッカーのキャンプ便りが届けられるころのふるさとには、もう一冬越した季節の花が咲き始めています。


南風図書館・館長だより(2021年1月)

あけましておめでとうございます。

南風図書館のある鹿屋市も寒入りし、先日は高隅山がうっすらと冠雪しているのが見えました。 今の時期、図書館庭の花壇にはスイセンの花が、木立にはサザンカが咲いています。冬のあいだ、冷たい風にも咲く花は健気に見えて、元気をくれます。

昨年11月に、かごしま朗読Cafeの方々が図書館にお見えになった際に、庭の花をスマートフォンのカメラで撮影していらっしゃる先生とお話をしました。 スマホに撮った写真をアプリに読み込むと、花の名前が表示されると教えていただき、驚きました。

私は、草花や樹木を本の図鑑で名前を調べていたのですが、さっそくアプリストアで検索して、インストールすることにしました。

「花の名前が調べられるアプリ」で検索に打ち込むと、いくつかアプリが表示されました。 月額お金を払ってサブスクリプトできるものもありましたが、最初のうちはと思い、無料のものをインストールしました。

ある日、いつものように森の中の道から大姶良への県道を、永吉バス停へ歩いているときに、このアプリを使いました。 森の道の先、峠を下っていく坂道、畑の向こうに森を左手に見ながら行くと、その先に、同じ木の群れがあります。

私は樹木については何も知らず、名前もほとんど知らないのですが、勝手にこの群れの木は「サルスベリ」ではないだろうかと想像していました。 木の幹がスベスベしているように見えたからです。

アプリを使って木を撮影してみると、「プラタナス」か「アオハダ」と表示されました。そう表示されても、どういう木かピンと来ません。

「わからないなあ」とモヤモヤしながら、木の群れの先、散歩を続けていると、瀬筒の集落の先、椿の木立の前で、「大隅森林組合」と書かれた軽トラックの前で、 地元の方とお話しされている方がいらっしゃいました。

これは運が良かった、と思いながら「木の名前を教えてください」とスマホの写真を見てもらったところ、「クヌギ」だと教えていただきました。

恥ずかしながら、樹木についての知識はゼロですので、教えていただいたことに感謝しました。

ハーブを初めて勉強した時に、こういう植物だ、という知識を少しずつ覚えていくと、道路わきに咲いているカモミールとか、ハーブ園のミントとか、 どのような形態をしているのか目が行くようになったのですが、樹木についても、ある程度の基礎知識を覚えたら、興味が向いていくのかも、と改めて思いました。

図書館まわりには野鳥が鳴きます。メジロやウグイスについては、鳴き声を知りますが、秋からさえずりをよく聴く「キーキー」との鳴き声の鳥はまだ名を知りません。 野鳥図鑑についているQRコードをスマホに読み込むと、鳴き声が再生される仕掛けになっているのですが、肝心の名前を知らなければ、調べられないことに気づきます。

散歩道の脇に見る草花については、少しずつ覚えてきたかな、とは自分では思っていますが、やはり詳しい方に教えていただいたり、本を読むことも大切なようです。

昨年、散歩道を歩いていて、草花を観察してきた時に、いちばん驚いたのは、ヤマコンニャクの実の形態でした。青色や赤色のどぎつい原色の実は、私には毒々しい色に見えて、 これは毒草なのだろうか、と思っていましたが、後に調べたところ、珍しい希少種だと知りました。

あんまり詳しくはありませんが、興味を持って見ていると、身近な草花や鳥たちの姿も、こんな風にして生きているのかなあ、とちょっとずつ想像できるようになる気がしています。


南風図書館・館長だより(2020年12月)

11月30日(日)には、かごしま朗読Cafeの方々が、南風図書館2階にて、朗読会を開かれ、楽しそうに過ごしておられました。当日は天気も良く、2階からの眺めも良くて、朗読される方々の声や笑顔も印象的でした。朗読Cafeの後の日には、浜田町も、もう12月になりました。

                    ★

さて、鹿屋に住む私たちは、県都鹿児島市に出かけるときには、フェリーで錦江湾を横断するか、笠之原から東九州自動車道に乗り加治木ジャンクションの先九州道を行くかになります。高速道路ができて、車を飛ばして鹿児島へ行く人も増えたと聞きますが、私はフェリーに乗っていきます。この時、行きは垂水フェリーで鴨池港へ出て、帰りは鹿児島港から桜島フェリーに乗ることにしています。フェリーに乗り場へ向かうときに、必ず通るのが、国道220号線の走る垂水市です。鹿屋市や肝付町、東串良町、大崎町、錦江町、南大隅町に住む人たちは、鹿児島に出るフェリー乗り場へ、幼い時から、垂水の海沿いの風景を車窓に何度も見て、記憶に刻むことになります。県都へ映画を観に行くため、ショッピングに出るため、部活動の大会会場へ向かうため、佐多街道220号線を垂水港や桜島港へ走ります。帰りにも、桜島港や垂水港から、海沿いの佐多街道を行きます。

この見慣れた道沿いは、常に西に錦江湾の海を眺め、ドライブしていると、気持ちのいい潮風に吹かれます。

桜島港から車でフェリーを降りて、桜島224号線を有村溶岩展望所を眺めながら、桜島口に出たところを、220号線へ右折。早崎大橋を渡り、海潟隧道を抜けます。しばらく行くと、映画「ホタル」のロケ地となった海潟漁港付近に出ます。右手に江の島を眺め、菅原神社の鳥居を見ながら、鹿屋へ向かって南下。協和小学校のあたりには温泉宿が建ちます。海潟海水浴場を右手に過ぎ、荒崎に出るとパーキングエリアがあり、トラックの運転手さんや鹿児島から営業に出てこられた方が休憩している姿を見ます。元垂水を過ぎ、河崎川の橋を渡ると、垂水の市街地です。垂水駅跡の先、上町には垂水高校の校舎他、教会、お寺が建ちます。本町、下宮町の先に、猿ヶ城から流れてくる本城川が錦江湾に注いでいきます。橋を渡った先が、垂水港です。

さらに220号線を南下。しばらく行くと、新しくできた「道の駅はまびら」の建物が見えてきます。このあたりには、ホテルや民宿、八百屋さん、パン屋さんなど元気なお店が道沿いに建ちます。走り進めると、柊原に出ます。並松を行き、宮脇に出たところから、海沿いに珍しい木が並木をつくっています。錦江湾の浜の堤防沿いに並ぶのはアコウの木です。並木のはじまるところに、車を停められるパーキングがあり、降車して散策することもできます。アコウは暖地の海岸に生えるクワ科の常緑高木。枝や幹から多数の気根を垂らし、岩や露頭などに張り付いて生息するそうです。宮脇公園のアコウは、新城の海岸近くの民家の庭先に生えていた33本を移植したものだ、と案内板に出ています。

並木の海側に散策路があり、座って海を眺められるベンチも設けられています。丈の低い堤防と堤防のあいだから、砂浜に下りていけるようになっていました。浜に出ると、東に大隅半島南部の稜線が遠くに見え、錦江湾内奥のないだ海の小さな波が浜際に寄せていきます。海の反対側、北には高隅山が鹿屋からとは違う角度からの姿で見えます。このあたりから、錦江湾の向こうに眺める夕日も美しいのだろうと思いました。

アコウは桜島の武町の先、桜島中学校へ向かう26号線の藤野にも群れを見ました。いかにも潮風に似合う木の風情が、並木をつくる宮脇にも藤野にも、南国の海沿いの道に目を惹きます。宮脇のアコウの中には樹齢150年以上のものもある、と案内板にありました。

パーキングを出て、並び立つアコウを見ながらさらに行くと、新城諏訪、新城大浜、新城麓の先まさかりの手前で、鹿屋体育大学方面へのバイパスと、鹿屋漁港のある古江方面への道との分岐に出ます。

この垂水路の風景を、私も、幼いころから、何度も何度も車窓の向こう側に眺めつづけてきました。


南風図書館・館長だより(2020年11月)

南風図書館は霧島ヶ丘の南側の山腹(丘腹)にあります。建物の南側には丘のすそむこうに錦江湾の海をのぞみ、北側は丘の斜面の一面の森です。図書館駐車場の西側には、丘の上へ斜面を登っていける山道があります。この山道を歩き登ると、丘の東側、海岸から上って来た峠と霧島ヶ丘公園やバラ園を結ぶ、舗装された道に行き当たります。

私は、図書館東側の森の中のアスファルト道から、大姶良への道を行く散歩を続けてきましたが、最近は図書館駐車場西側からの山道を歩くことも多くなりました。山道は、歩いて5分程で、公園への舗装された道に出てしまいます。地面に積もった舟形の落ち葉をザクザク踏みしめて歩くのは気持ちのいいものです。普段は、そこから舗装された道を県道に向かって歩いて、バス通りを散歩を続けます。

ある日、図書館駐車場西側からの山道を登り終えたところで、舗装道を渡った先に、さらに山道が伸びているのを見つけました。いつか歩いてみようと思っていたのですが、先日、舗装道を渡って、探検をしてきました。

杉の木の茂る森の中に、針状の葉が落ちて積もっています。もう立冬の頃の晩秋、カラスウリが紅く熟れ、ガマズミも紅い実をつけています。栗の実も地面に落ちていました。時折、木々の茂みをカサカサと生き物が動く音が聞こえ、群れていた鳥たちが羽の音を立てて飛び立っていくのが見えます。

初めて歩くこの山道が、どこに向かっているのかわからないため、不安になりながら歩きます。10分ほど行くと、左手に、来た道と平行に折り返すように伸びて、その先森の北奥へとカーブして下っていく道が見えました。この道はどこへ行くんだろうと思いながら、分岐を左折せずに直進すると、前方が明るくなった先、脇に民家が見えてきました。ホッとしながらさらに歩くと、古い農家の家屋や屋敷の並ぶ集落に出ました。やがて、大姶良への道を歩くときに左手に入口を見る瀬筒の集落だ、と合点がいきました。

集落のはずれ一軒家を脇に見る道の先に、湿地があります。池だろうか、田んぼの水を抜いていない土だろうかと思って、道の先から、栗の木や雑木がところどころ生える草むらに入り、神社の鳥居の方に向かって回り込んで湿地の奥へ出ると、北から小さな川が流れてきているのがわかりました。水が、川から湿地に流れ込んで、溜まっています。おもしろいなあ、と思いながら行き過ぎ、瀬筒の集落を、大姶良と浜田を結ぶバス通りに出て、図書館へ戻りました。

さて、気になるのは、霧島ヶ丘公園への舗装された道を渡って瀬筒への山道を歩いたときに、左手に見えたさらに森の北奥へ向かう道です。ある日、また図書館駐車場西側から山道を歩き登った時に、探検することにしました。

公園への舗装された道へ出て、渡り、瀬筒への山道を歩きます、晩秋の風は少し強くて、木々の枝がガサガサと揺れ、音を立てます。勇んで進むと、左手に森の北奥へカーブして下って行く道が見えてきました。

よし、と覚悟を決めて、分岐を左に曲がります。どこに出る道だろう。霧島ヶ丘の東側の麓の横山町に出るのだろうか、と思いながら山道を行きました。森の木々から木漏れ日がチラチラと差し込んで、地面の影に光を揺らします。折れた木々の枝が、幹から生え伸びる枝にひっかかって、風に吹かれて、ぶつかる音を立てています。

道が谷間へカーブしてくだっていく先、また上り坂になるのを歩き至るのはバラ園の北側だろうかと予測しながら行くと、登り切った先、道はなくなっていました。来た道の先、前方も右も左も森の木々。

少し不思議な気がして、山道の果てに立ち尽くしました。この道は、どうしてここまで伸びてきたんだろう。ここまで山菜を採りに来たり、木々の手入れをするために伸びてきたんだろうか。昔は、この果てから、さらに山道が伸びていたんだろうか。そんなことを思いながら、また瀬筒への山道に向かって、森の中を引き返しました。


南風図書館・館長だより(2020年10月)

大隅半島には鉄道がありません。国鉄が民営化されたときに、大隅線は廃線になってしまいました。かつての鹿屋駅があったところに、いまでは市役所の庁舎が建っています。図書館に来る道中のそばにある野里駅跡や、漁港近くの古江駅跡の駅舎だった建物が、列車が走っていた面影を残しています。

鹿屋市街地にはバスセンターがありましたがなくなってしまい、新しくできた複合施設「リナシティ」脇のバス発着場から、志布志、佐多、鹿児島市街、鹿児島空港などにバスが出ています。

足の便が、あまりありませんので、移動の手段はもっぱら自家用車ということになります。このためかアーケード通りのある繁華街よりは、広い駐車場がある郊外型の店舗が並ぶ寿や札元に車で出かけることが多くなりました。

私も自家用車で通勤し、買い物にも出かけます。フロントガラス越しに通りを見ていると幼かったころに比べると、歩道を歩く人も少なくなったように感じます。人口が減って、若い人が少なくなったからかもしれませんが、車でしか出かけられなくなってしまったのも一因でしょう。

けれども街を車で行くと、対向車に乗る人の顔や、店先で働く人の他、歩道を通行する人の姿も目にします。

午後中学校から下校してくる制服姿の一群、一度帰宅して遊びに出ようと自転車を走らせる小学生、犬を連れて散歩している婦人。

数は多くありませんが、私の住む今坂や西原の通りを歩いている人が確かにいます。

夕方には、郷之原台地や市営グラウンドを多くの人がウォーキングしています。スポーツウェアを着て、ジョギングを続けている人の姿も見ます。午後から夕方にかけては、今坂から野里のサッカー場へ至る道では、走っている人が何人もいらっしゃいます。図書館前から森を抜けて大姶良へのバス通りに出る道には、地元浜田の方たちが散歩を続けていらっしゃいます。

高須や浜田の海沿いへの道では、よく競輪の選手たちが、自転車を走らせています。自転車で列をなして、高速でペダルをこいでトレーニングするさまが、かっこよく見えます。

休みの日に、郊外型店舗の並ぶ寿や札元の街を車で行くと、私服に着飾った地元の女子中学生たちや、自転車で走り群れる男子中学生の姿を目にします。

かつて鹿屋の繁華街のアーケード通りには、歩道を闊歩する若い人たちが見受けられました。街までバスで出て家までバスで帰る人も多くいた、と覚えています。バスセンター近くのショッピングセンターには、老人たちの溜まり場があり、バスの待ち時間に、お年寄りが、テレビの大相撲中継を見ながら、霧島や逆鉾、陣岳、寺尾といった郷土出身力士に手を叩いて、声援を送っていたものです。

時代が変わって、駅などから目的の場所へ移動するために歩くというよりは、健康志向もあってか、ウォーキングやジョギングそのものを楽しむ人が増えたように感じます。

朝の散歩を続けている方、夕方ウォーキングやジョギングをする方。

朝いちばんの清々しい風。高隅山の東から昇ってくる陽光。夕方、家族のだんらんの前に、ふるさとの山に抱かれた台地を、森を吹き抜けてくる風に前髪を揺らして歩く。

ふるさと鹿屋の豊かな自然の中を、気持ちのいい呼吸に運動する習慣は、もしかしたら、すごく、ぜいたくな時間なのかもしれない、と感じます。


南風図書館・館長だより(2020年9月)

南風図書館では、営業日の夕方に「夕日のコンサート」の音楽を流します。図書館の西、錦江湾の向こう、開聞岳や薩摩半島の向こうに、夕日が沈んでいくときに、懐かしさいっぱいの音楽を流します。時折、お客様が音楽を聴きながら、夕陽を眺めておられます。やがて日が暮れていくと、湾対岸の指宿の街の灯がキラキラと煌めき、暗くなっていく空に星が瞬きだします。

いま、初秋の浜田町では日の入りは18時35分くらいでしょうか。これから秋が深まっていくと、日の入りも早まってきます。

営業日には必ず音楽を流しますから、日の入りの時間が毎夕変わっていくのを、身をもって知ることになります。冬至から夏至にかけては日の入りが遅くなり、夏至から冬至にかけては日の入りが早くなっていきます。

日ごと同じところで、いつも夕日を眺めるのは、はじめのうちは退屈でしたが、慣れてくると、風景が少しずつ表情を変えていくのを見るのが、楽しみになりました。

夏には、森の蝉しぐれを聞きながら、暑かった一日の終わりに、潮風に吹かれて西日を眺めながら夕涼みを。秋には、夕暮れの空を背景に、西日の光が海面に落ちてあかね色の陽だまりをつくるのに、切なさいっぱいに。冬には冷たい風の中、雲にかすんだ夕日に、早く家路につきたい気持ちに。春には、出会いの季節の夕暮れに、明日が来るのが待ち遠しくなるような気持ちに。

陽が昇り暮れていく、日ごとの天体の動きを見ていると、地球が自転するから一日があり、太陽の周りを公転しているから季節があるのだ、と実感します。

図書館の仕事を始める前には、車での帰路に、暮れなずんでいく西の空を眺めたものでした。高須川流れる野里の田んぼ地帯の夕日、鹿屋大橋から郷之原へ向かって走る時に眺める権現山の向こうの夕暮れの空。特に印象深いのは、肝属川下流域から眺める西日です。

肝属平野を遥かにひらける西への眺めに、ぽっかり浮かんだ大きな西日が、夕暮れの空を紅く染めます。何もない田んぼのひろがる平野を流れてくる大きな川の向こうに、沈んでいく丸い夕日の赤い光は、古の人も見た原初の風景だとも感じました。

陽が沈み、夜が来て、食事して、風呂に入って、眠る。そしてまた、朝が来るわけですが、早起きして、昇りくる陽光を見るのも、気持ちのいいものです。かつて朝の散歩をしていた時に、権現山の麓から国道220号線を交差して今坂へ至ってくる道の東に、陽が昇ってくるのを、眺めたことがあります。暗闇に沈んでいた高隅山の稜線が少しずつあらわになると、東の空が少しずつ明るくなりほんのり赤くなっていきます。やがて、球形の太陽の光が頭から姿を昇らせてきます。「新しい朝が来た。」と元気が湧いてきました。

電灯がなかった時代の古の人は、陽が昇ると起きて暮れると眠る、という生活を送っていたのでしょう。

昼には太陽に見守られ、夜には星に祈られてきた人間という生き物が、いちにちの始まりの朝日と暮れの夕日に、願いをかけ続けてきたのだ、とも感じます。

南国鹿児島は、日の出や日の入りも遅いのでしょう。東の方へ旅すると、朝日が30分も40分も早く昇ってくるから、「え?もう朝か。」とびっくりしたりもします。

回りつづける丸い地球に朝をリレーしながら、陽光に見守られて、1日生きる。浜田町の初秋の夕空に「夕日のコンサート」の音楽をかけ、陽を見送りながら「また明日の朝、お会いしましょう。」と頑張る気持ちを新たにします。


南風図書館・館長だより(2020年8月)

8月になると、南のふるさとでも都会から帰省してくる方たちを迎えるためか、何となく心浮くような気分になります。

お盆を前にして、庭や駐車場、田んぼまわりの畔や土手に伸びた草を、刈払い機で刈っている方を目にすることがあります。炎天の中、汗だくになって草刈りしておられますが、長くなった草をきれいにすると、気持ちもよいものでしょう。

夏休みや正月休みには、久しく会っていなかった親戚の子たちと遊べると、子ども心に嬉しかったものです。

鹿屋に住む私たちは、8月13日から15日にお盆を迎えます。今年は帰省も自粛傾向となるのでしょうか。例年には暑さの盛りにも笑みが咲く、再会の季節です。

13日には昼頃に、都会から帰省の方たちが、ふるさとの家に到着します。みんなでお墓参りに出て、花を供え、水を換え、手を合わせます。夕方、縁側の提灯に火を灯し、ご先祖様をお迎えします。それから、精進料理を食べたり、仏壇に手を合わせたりして過ごします。

翌朝からは、例年だと、夏の高校野球甲子園選手権が盛りの頃で、居間でテレビ中継を見たりしながら過ごします。

成人する頃の若者たちは、帰省してきたふるさとで、街に繰り出し、みんなで語らったりしています。

小さな子供たちは、家の中や庭で追いかけっこをしています。

私が幼かったころには、帰省してきた人たちや親戚縁者たちで、酒宴がありました。今でも、そんな集まりが続いているのでしょう。

鹿児島市の繁華街や駅は、たくさんの人出で、映画館とか喫茶店、ファーストフードのお店に、話し声が響き渡ります。思い出の品やお土産を買う人たちも、お店に人ごみをつくります。

鹿児島市と大隅半島を結ぶ、垂水フェリーや桜島フェリーも、夏休みの人たちでいっぱいです。

夜には懐かしい顔ぶれで思い出を語らったり、近況について話をしたりします。

線香花火に火を点けてパチパチするのを楽しんだり、夏の星座を眺めたりする方たちもいらっしゃるでしょう。

楽しかった夏の思い出を宿して、またお盆休みが終わりになると、ふるさとから都会に帰っていきます。

8月15日の夜には、肝属川の流れに、発泡スチロールでつくった船を浮かべて、精霊流しをして、ご先祖様をお見送りします。ローソクや線香の灯の船が、川の流れに流れていくのに、手を合わせます。

お盆が明け、また静かになったふるさとでは、田んぼに稲の茎が青々と伸び、唐芋も盛りに茎葉を茂らせている中を、農家が軽トラックで行く姿を見ます。

子供たちは夏休みの宿題に取り組み、いつからか森や木立の木々の蝉しぐれに、ツクツクボーシの鳴き声が混じります。

夏の自由研究のまとめ、いちにちいちにち絵日記に書いた思い出。

ふるさとの夏を、そんな風にして過ごしてきました。


南風図書館・館長だより(2020年7月)

例年なら梅雨が明けると海開きと報じられますが、今年は新型コロナウイルス感染拡大のため、海水浴も自粛傾向となるのでしょうか。

図書館の南側、丘のすそ、錦江湾に面した浜田の海は、海水浴場です。西へ伸びていく砂浜は、隣の集落高須の民家沿いの先、高須海水浴場まで至ります。

大暑の頃には、ヨットが帆を立て、水上スキーを楽しむ方の姿も目にします。家族連れが波打ち際で遊んだり、地元の少年たちが泳いだりしています。夕方には薩摩半島開聞岳の向こうの西日が美しく、夏の宵には、湾対岸指宿市に打ちあがる花火が夜空に咲くのを見ることもあります。地元鹿屋の人たちにとっては、何度となく訪ねきた、ふるさとのなじみの海です。

大隅半島には、錦江湾岸側と太平洋・志布志湾岸側に、いくつも海水浴場があります。浜田海岸から佐多街道を行き、根占の繁華街から南下したところに、大浜海岸があります。辻岳の麓の砂浜の湾対岸に、開聞岳がよく見える海です。

さらに南下し、佐多岬ロードパークの亜熱帯植物を眺めて走る道中に、田尻海岸があります。かつて民俗学者の柳田国男も訪ねて泊まったという田尻集落の目の前の海です。浮き輪にプカプカ浮いて、海の波に揺られながら、のんびり青空を眺めている風情の若者を見たことがあります。田尻海水浴場の脇には「さたでい号」という船の発着場があります。船の潜水部客室から、海の中の魚やサンゴを見ることができます。窓の向こうにいろんな魚たちが泳ぐのを眺めるのは感動的です。

太平洋岸・岸良の海も印象的です。砂浜が青い海のコントラストに、白く長く伸びていくのが美しく見えます。

内之浦宇宙観測研究所の北、内之浦湾から448号線を行くと、志布志湾の海を眺めます。波見から橋を渡って柏原に出たところの海岸沿いから、松林が伸びていきます。志布志の方へ伸びていく、「くにの松原」と呼ばれる松林は、わが国最良とも評されたそうです。

志布志の街から220号線を宮崎県串間の方へ向かって走ると、県境のあたりダグリ岬公園の脇に、夏井海水浴場があります。ここでも地元志布志の家族連れの方たちが、波打ち際や海の中で、楽しそうに遊んでおられました。

一度足を伸ばして、宮崎の海まで行ったことがあるのですが、ここでは、たくさんのサーファーたちが、岸沿いに車を何列にも停め、砂浜にサーフボードを並べて波待ちしているのに、びっくりしたことがあります。

鹿児島市の磯海水浴場、桜島の西道海水浴場など錦江湾の海、指宿の生見や今和泉の海、いろんなところに地元の人たちがなじみの海を持つのでしょう。

降る日々に、図書館の南にひらける海の景色を眺めながら過ごします。もうすぐ、南の空に入道雲が湧く浜田の海に、少年たちが、自転車やバイクを駆けて泳ぎに出る夏本番だ、と雨音を聞きながら、少し先を思います。


南風図書館・館長だより(2020年6月)

雨の季節になったので、図書館まわりにも湿った風が吹きます。あと、ひと月すると梅雨が明け、夏の日差しの森になると知りますが、ふるさとの海にも山にも少年時代の思い出を宿す中に、山登りは楽しかったと覚えています。

中学校や高校時代の高隅山登り、卑近なところでは西原台小学校の裏山にも登りました。歩いて山に登ると、森の中を清流が流れていたり、岩をロープを握って上がっていったり、体で覚える楽しい思い出になります。高隅山の登山口は何か所かあるようです。

祓川から高隅集落のほうへ車を走らせ、大隅湖に出て、ダムの上を車で走り、湖畔を行くと、季節の花が彩ります。いまはアジサイが美しいことでしょう。

大隅湖畔の先、71号線を垂水へ向かって走ると、串良川の源流あたり、うっそうとした照葉樹の森の中を行きます。

七岳の下、堀切の先を右折すると、高峠つつじが丘公園に出ます。ツツジの名所の高峠公園は、ひと月ほど前まで、花が咲き群れていたことでしょう。つつじが丘を歩いて登ること30分弱、頂に至ると、北に桜島、南に高隅山をのぞみます。

思い出が息づくふるさとの山の中に、車で頂までいけるところがあります。

そのうち、郷之原の権現山は何度も車でのぼりました。頂は公園のようになっていて、元日には初日の出を見に来る人も多いそうです。

図書館の東、森の散歩道の向こうには、横尾岳があります。前から、何度も行ってみたい、と思っていたのですが、5月の晴れ日に車で山道を走らせました。

山道の行く森の木々の枝がチラチラと木漏れ日を揺らします。少し心細いですが、ハンドルの向こう、山へ向かって進みます。

やがて「横尾岳山頂へ」の標識の方へ分岐する道を折れ、車を進めます。しばらく行くと、向こうから車が降りてきました。対向する車2台すれちがうだけの道幅がありません。「どうしようか」と思っていたら、対向車がバックで引き返しのぼっていきます。「大丈夫かな」と思いながら、車を進めました。舗装された山道の西側に、短い草のしげる平たくなったところが見え、そこに対向車が後ろから車を入れました。クラクションを鳴らしてお礼して、車を進めると、ツツジの木々が囲む草むらに出ました。車を入れ、停めて、外に出てみました。横尾岳の山頂です。

いつも郷之原台地から南に見える山なみを、そこから返し見る風景がひろがっています。霧島ヶ丘の向こう、鹿屋の繁華街、高隅山、東側にひらける平野、シラス台地。しばらく眺めていると、日ごとのふるさとの街での自分の生活も愛おしく感じられました。

 横尾岳は「ひぜんまゆみ」の自生地だそうです。暖帯、亜熱帯の海岸付近の林にわずかに生える小高木。鹿児島県では、薩摩半島・野間神社近くと横尾岳、他2か所にしか生えていない珍しい木だ、と看板が立っていました。

山道を歩いて登ってくることができるようで、登山コースの案内板が出ています。

静かな森に、錦江湾の海からの風が吹き、山の向こうの街へ抜けて、住まう人たちの髪を揺らしていくのでしょうか。

5月の晴れ空に、来てよかったと眺めを見ながら、心に思いました。


南風図書館・館長だより(2020年5月)

南風図書館は新型コロナウイルス感染予防のため、土曜日と日曜日の営業中です。平日、図書館でしてきた仕事は、いま、自宅で続けています。

日課の散歩は、郷之原台地の畑作地帯を歩いています。北に高隅山をのぞみ、串良や大崎、志布志の方へ遥かにひろがる初夏の青空を仰ぎます。いまは、ツバメが猛スピードで、畑地帯の空を飛んでいるのを目にします。慰霊塔公園の桜の木は、若葉を気持ちよさそうにそよがせています。

ちょうど、このころの季節、かつて朝の散歩をしていたことがありました。権現山から西原台小学校の裏山へかけてのびる尾根一帯の森のすそには、ヘビイチゴというのでしょうか野イチゴというのでしょうか、野生の赤い実がなっており、採って口に入れると、甘味のない酸っぱさが口にひろがりました。

平日に休館する前、図書館東側の森や大姶良への道を歩いていたら、ヘビイチゴを見つけました。やはり口に入れると、酸っぱかったです。

ツツジの花が見ごろの季節には、草花も庭の花も盛りですので、歩いていても楽しくなります。少し前、田起こし前の田んぼには、レンゲの花が群れ咲いており、きれいだな、と写真を撮りました。

森を行くと、花びらを集めひとまとまりの白い花が群れ咲いている木を見ました。図鑑で調べてみますと、ガマズミという木だと知りました。コバノガマズミ、ミヤマガマズミなど、いくつか違う名の仲間がいるようです。歩きながらよく見ると、いろんなところに、ガマズミの木に花が咲いています。目にすると、淡い印象で、絵でいえば水彩のように、優しい白色の花だ、と感じました。秋には赤い実がなるそうです。

草花は、森や畑、田んぼまわりの道に、盛んに咲いています。たくさん咲くので、ひとつひとつ名前を調べようとも、間に合わない感じです。

その中で、ひとつ、私が詳しくないからかもしれませんが、珍しいと思った花があります。赤い色でとんがり帽子のような形の花です。「何じゃ、こりゃ」と思いながら、写真を撮りました。散歩から帰って図鑑で調べても載っていません。何となく印象に残った花でしたが「まあ、いいか」と思って数日過ごしておりましたら、ある朝、新聞にその花のことが載っていました。

散歩のときに見た赤い花が、一面に咲いている畑の写真が出ています。「赤クローバー里山を染める」の見出しが出ていました。溝辺町の農家の方が、2年前の秋に、まいた種の花の畑だそうです。この花は「クリムゾンクローバー」というのだ、と知りました。別名は「ストロベリーキャンドル」というのだそうです。深紅の色が特徴の花が、畑一面染めている、とありました。

散歩時に見た季節の花が、遠いところで畑一面に咲いている、と知ったら嬉しくなりました。私が写真に撮った散歩道のクリムゾンクローバーは、野生のものなのかな、誰かが種をまいたのだろうか、とも想像すると、見慣れた道脇の草花の命も愛おしく感じられました。


南風図書館・館長だより(2020年4月)

図書館がオープンする前の一時期、私は、南風農園の山小屋で仕事をしていました。夏には錦江湾からの潮風が、果樹園やハーブ畑を通り抜け吹き込みます。暑さに汗をかきながらも、楽しく過ごしていました。

森の生活も慣れれば楽しさを知りますが、最初のうちは不安なものです。人気(ひとけ)がありませんので、木々や植物、生き物の姿に心細くなってしまいます。木々の葉がかすれあう音や、鳥が飛び立つときの物音、カラスの鳴き声にも怯えていました。

山小屋で過ごしながら農作業するときには、アブやハチに刺されることがあります。私も一度、向かってくるハチに襲われ、ダッシュで逃げましたが、腕を刺されてしまいました。山小屋のまわりには木々の枝や建物の隅に、クモが巣をつくります。山小屋に入る時には、必ず、クモの巣の糸を顔にくっつけるものでした。

こんな森の環境で、私がいちばん怖いのは蛇です。私は蛇に噛まれたことはありませんし、頻繁に姿を見る訳でもないのですが、その容姿が畏怖を引き起こすのは、なぜなのでしょう。

先日、図書館東側の森を散歩しているときに、蛇の死骸を見ました。姿を見た時、目玉が飛び出んばかりに驚いて、逃げ出したくなりましたが、恐怖におののく心を無理やり鎮めて、そーっと脇を歩き抜けました。

春先には、森の道を、蛇が地面を滑るように横切っていくのを見ました。蛇が通り行くまで、立ち尽くしていたものです。

蛇に恐怖を抱くのは私だけではないのでしょう。神社に蛇をまつるところもあると聞きますから、昔から多くの人が畏怖の対象としていたのでしょう。

幼いころ、地元デパートの屋上で、ニシキヘビを首に巻いて写真を撮ってもらえる企画があり、家族が参加しました。ニシキヘビを飼いならして、人慣れさせてしまう人もいるんだ、と感心したのを思い出します。

奄美大島では、毒蛇のハブとマングースの対決を観光ショーにしているところがあり、観に行きました。鎌首を立ち上げて舌をチラチラするハブを、瞬のうち、マングースが飲み込んでしまうのは、恐怖が胸に湧くというより、もはや、あっけにとられるような光景でした。

奄美大島を車で見て回った時には、小川流れる丘陵の草むらの上の方に灯台のようなものがあったので、見てみようと思い、歩いて茂みに入っていくと、「ハブに注意」との看板が出ていました。ギクッとして、これはヤバいと、心をドキドキさせながら、そーっと車の方へ引き返しました。

毒蛇のハブは、奄美大島の水回りを守護するものだそうです。

小学生の頃、郷之原の墓地で、白蛇を見ました。私が驚いて怖がっている脇で、祖母が石ころを投げつけて、追い払おうとしていました。

花岡の高千穂神社を訪ねた時には、「マムシに注意」との看板が出ており、この時も、おっかなびっくりの心になりました。

蛇は普段、どんなところにいて、どんな生態をしているのか、私はよく知りませんが、昔から人間の暮らしの中に、立ち現れる生き物であったことは知れます。

森の生態に、人間が、蛇のような畏怖の対象を持ってきたのは、自然の中の成員ということを証しているのでしょうか。


南風図書館・館長だより(2020年3月)

一斉休校となった今年の田舎街の3月は、例年にも増して静かな日々です。今坂町の慰霊塔公園では中学生たちがバスケットボールで遊んだり、柳の公園では子供たちがゴムボールで野球をしたりしています。

私は普段、今坂町から海上自衛隊基地のフェンス沿い道を車で走って通勤してきます。旧国鉄野里駅跡付近には、イチョウの木々が短い並木をつくり群れ、木蓮の木の群れもあります。国道に面した駐車場の南に、サッカーの芝生コートがあります。この芝生まわりの木立の地面を、初夏になるとシロツメクサが彩ります。サッカーコート辺りは、林の木々が美しい風情です。今年も白木蓮が白い花を咲かせています。

時々、柳の交差点から、田んぼ地帯に降り、権現山や高隅山を北に見ながら、高須川沿いを岡泉まで走ることがあります。畔に草花や菜の花が揺れる田んぼ地帯の中を、車窓から春風に包まれハンドルを握り行くのは、気持ちよくて、心もせいせいしてきます。

吹かれていると、じっとしていられなくなるような春先の風に、大隅半島の豊かな自然の中をドライブするのは楽しいものです。特に、この季節から初夏にかけて、錦江湾岸を潮風に吹かれて南下するドライブは、遥かにひろがる大きな空を、遠のく海が追いかけていくような景色に魅せられます。

錦江湾岸沿い国道269号線を、浜田海水浴場東の三差路を直進し、ひたすら南下すると、本土最南端・佐多岬へ通じます。

この佐多街道を行くと、神之川大橋を渡った先、山道に入ったところに神川大滝があり、さらに269号線を南下した根占から山道に入ったところには雄川滝があります。

この肝付山地西側錦江湾岸沿いは、近年有名になった雄川滝へ行くルートコースとして、多くの人たちが鹿児島市街などから、車で走り訪れるようになりました。

肝属山地から錦江湾にそそぐ神之川河口の南に錦江町大根占の街が、雄川河口付近に南大隅町根占の街があります。

このあたりから薩摩半島南端にそびえる開聞岳を錦江湾対岸に眺めると、湾向こうの大海からは、南大隅や南薩摩は、まさに日本列島の南口だと実感します。

大隅半島から錦江湾の上を、硫黄島の南、吐噶喇列島や奄美諸島へ、薩摩半島開聞岳や稜線の上、その向こう坊津や野間半島の西、遠く大陸へひろがる空。錦江湾の向こうにひろがる太平洋や東シナ海の大海。

この景色を遥かに望むパノラマパークが、根占の大浜海浜公園前から、山道に入ってのぼったところにあります。パノラマパーク西原台です。

初めて訪ねて、ここから湾向こうや開聞岳をのぞむ景色を見た時、静かなまわりの森の風情ともあって、畏怖にも似た感情が胸に湧きました。

それから何度かここを訪ねましたが、いちどちょうどパラグライダーに乗る人たちが、展望台南斜面から飛び立っていくのを目にしました。

辻岳麓・雄川河口にひろがる根占の街の上空を、パラグライダーに乗る人たちが、悠々と飛んでいきます。

その飛行する姿を眺めると、澄むようにひろがった晴れ空に、春先の風に吹かれて、自分の心まで、気持ちよく飛んでいるような感動がひろがりました。

根占から、さらに国道269号線を南下すると、佐多・伊座敷へ。さらに68号線を南下すると、大泊へ至ります。

大泊からは、本土最南端・佐多岬まで、沿道を亜熱帯の木が群れ、花が咲くロードパークが続きます。

開聞岳や薩摩半島の稜線、白い雲、大空や海の青さひろがる景色に、心の奥から楽しい笑みが湧くドライブコースです。


南風図書館・館長だより(2020年2月)

寒明けとはいうものの、今年も暖冬で、何となく立春の日に至ってしまったという感じですが、浜田町の丘の森や野里の田んぼ地帯には、違わず春が近づくと、季節の草花が咲き始めました。

田んぼの畔のレンゲやホトケノザ、丘の森にはムラサキケマンを目にします。小さな草花が群れ咲くのを見るのは、散歩道を行くのの、楽しみです。

森の道を抜け、峠を下るように大姶良へ伸びる道を、瀬筒の先まで行くと、椿の木の群れがあります。どうしてここに、こんなに椿だけ植えたのだろう、と考えながら歩きます。赤い花が木々にたくさん咲き、枝と枝のあいだから野鳥の鳴き声が聞こえてきます。冬のうちから花を咲かせる椿は、庭木としても人気と知りましたが、この花の蜜をメジロが好むのだ、とも知りました。

毎年、この季節になると、梅の花にメジロが蜜を求めて寄る写真が、新聞に載ります。私は今年、生まれて初めて、この目でメジロの姿を見ました。

瀬筒の先、横尾岳麓の田んぼを見ながら、永吉バス停まで歩き、浜田町の森へ引き返そうと、峠をのぼっていく道脇で、鳥の鳴き声がするので目をやると、緑色の小鳥がいます。「あっ、メジロだ」と思い、しばらく見ておりますと、木々の枝や茂みを、鳴きながら飛び移っていきます。あとで調べてみましたら、メジロは警戒心が緩いので、人目を気にしない、とのことでした。

学生の頃、郷之原の権現山に歩いて登った頂に、ラジカセからテープの鳥の鳴き声を、森に向かって流している人がいました。「何をしているのですか?」と聞いたら「メジロ」と答え返しました。メジロをテープの鳴き声で呼び寄せていたのでしょうか。口笛でメジロを呼び寄せることができる人もいるそうです。

高須から図書館の方へ折れ、大姶良への県道まで伸びる道を行くと、浜田町の集落へ至る手前に梅林があります。かつての高須小学校か高須中学校の学有林ですが、この林の梅の木々にも、今年も花が咲いています。今、土から草が伸びたり、枝が伸びたり荒れている梅林ですが、寒風に咲く花が、車で行く道脇に見えるのも美しい木々です。

この道を、高須大橋から伸びる道との交差点まで戻り、高須川河口の方へ車を走らせると、鹿屋農業高校の果樹園があります。カンキツの木の林だそうですが、今年も収穫の実習は始まったのでしょうか。

南風ガーデンの果樹園では、サワーポメロの収穫が始まりました。果実の皮を密漬けにしたり、果肉をコンフィチュールにしたり、ガーデンハウスの作業が始まっています。

今年も、メジロが椿や梅の木々の花に群れ、草花も菜の花も咲き始めました。郷之原台地では、もうヒバリの鳴き声も聞かれます。

メジロと似た鳥として知られるウグイスは、まだ時にあらずとしてさえずりませんが、2月の冷たい風にも咲きひらく草花は、春が近づくと知らせてくれます。

私が散歩する森の道の至る浜田三差路から大姶良へ伸びる道は、鹿児島の各地チームランナーたちが競う県下一周駅伝大会のレースコースです。

傍らに草花や菜の花が咲き揺れる早春路を、長距離ランナーたちが駆け走る季節の先には、また若者の門出の季節がやって来ます。


南風図書館・館長だより(2020年1月)

あけましておめでとうございます。

昨年のクリスマス前に、浜田町の図書館辺りは、雨が降る日が続きました。そんな日に、雨が上がり、雲間から陽光が差したので、森の中を散歩しました。森の中散歩路を行くと、木々の枝と枝のあいだから、シャワーのように光の筋がいくつも束になって放たれていました。雨の上がった森の土から、ところどころ白い蒸気が上がっていきます。雨上がりの風に、ざわざわ木々が揺れるのは、12月の丘の、贈り物のような情景でした。

年の瀬を過ごして、明けた元日、荒平神社に初もうでに行きました。荒平天神は菅原道真をまつる学問の神様です。菅原町の錦江湾沿い、波打ち際を分けるように伸びる、まっすぐな砂浜を行く向こう、岩山のてっぺんに荒平天神の社殿があります。

荒平天神は、近年訪れる人が多くて、元日も、若い人たちが、砂浜から初日の出を見ようと、たくさん、おられました。スマートフォンで、昇りくる陽光や天神様のまわりを写真に撮っている人がおられました。

鳥居をくぐって、伸びる砂浜から、岩山のてっぺんへ、階段を上った先、ロープをつかんで落っこちないように体勢を整えながら、足場の悪い段々を、社殿へ向かってのぼります。のぼりきった先、狭いてっぺんの平らかになったところ、小さな社殿向かいに、早くも祈願に来られている方が何人かいらっしゃいました。この神社は、大隅半島では、受験生が祈願することが多いようです。大学入試を控えて、勉強に励む高校3年生たちが、今年も志望校合格を祈願したことでしょう。

元日は天気が良く、気持ちのいい日和となりました。初もうでからの帰り、車で高須から岡泉を行き、野里に出ると、サッカーグラウンドの芝生広場で、凧揚げをしている子供たちを見ました。幼いころ、鹿屋市陸上グラウンドでは、たくさんの人たちが、絵柄に2本伸びた足をつけた凧など、大空に揚げていたのを思い出しました。

正月休みが明けた1月7日は七草です。数えで7歳の子たちが、親戚縁者を7軒回って、七草がゆをもらうのは、鹿児島独特の風習だと、新聞やラジオで知りました。田崎神社では、晴れ着を着た7歳の子たちが、お母さんにお祝いに連れられていました。

大隅半島も寒入りし、これから1年でいちばん寒い季節を迎えます。受験生たちは追い込みの勉強に励むことでしょう。もうすぐテストも始まります。頑張ってきたプロセスを賭け、夢に向かって巣立とうとする姿を、親御さんたちも見守っていることでしょう。

ふるさとのひととせ、寒い季節に、図書館や南風農園には、スイセンの白い花が咲いているのを目にします。

1月の南国鹿児島・大隅半島の冬にも、農作業始まる初春の季節を待ちながら、冷たい風の中を、人々は確かに、しっかりと生きています。


南風図書館・館長だより(2019年12月)

冬の錦江湾は、南国鹿児島の大隅半島の海でも、やはり夏とは違う表情の景色を見せます。

湾内の海なので、波が荒立つこともなく、穏やかではあるのですが、陽光がかげり、うっすらと雲が空を覆い、風も冷たくなるため、薩摩半島開聞岳の向こうが白むようになります。

以前、秋になると、南へのサシバ(鷹の一種)の渡りが、佐多岬などで見られる、と聞いたのですが、似て違う種の隼でしょうか、トンビでしょうか、12月の空にも輪をかいて飛んでいます。

空を見上げると、このあたりでは、いちばん高いところを飛ぶのが、隼のようです。隼は悠々と空に輪をかきますが、小さな野鳥たちのように、森の中の木々を枝から枝へと、器用に飛び回ることはできません。

カラスは、森や浜田町集落の民家や図書館まわりにも姿を見せます。人間や動物、他の鳥を威嚇したり、他のカラスと鳴きかわすさまは、森や付近の縄張りを見回っているようにも見えます。

隼が空に輪をかくのを、時折、カラスが邪魔しているのを見ることがあります。隼は羽が大きいので、邪魔されると、バランスを崩しかけますが、大抵、カラスを振り切って、また空の風に乗って、輪をかき始めます。

カラスが隼の真似をして、羽を広げて、輪をかくようにしているのが、時々見られ、くすっと笑ってしまうことがあります。

図書館からすぐの南風農園では、サツマ鳥やチャボなど鶏を飼育しています。時折、鶏が羽をばたつかせて飛ぼう、と試みますが、飛ぶことはできません。

森の野鳥たちは、鳴き声を交わしながら、仲間と何かを伝えあおうと、しているように聞こえます。

一年ほど前まで、図書館近くの森にいた野生猿たちは姿を見せなくなりました。

南風農菓舎のテラスベランダに猿が一匹やって来て、ガラス窓を前足でやかましく叩きながら、スタッフを威嚇していたことがあります。

いま、あの猿たちはどこへ行ってしまったのでしょうか。

森の中の動物たちの生態にも、何か営みに近いものがあるように見えます。

動物たちは、人間の営みをどのように見ているのでしょう。

人間を、自然を支配する者として、畏れを抱くように見ているのでしょうか。自分たちの住処を奪う者として、怒りの対象としているのでしょうか。憧れるようにしているのでしょうか。

人間は、周りの環境を、自分たちに住みやすく創りかえていくことができます。そして、その創りかえの歴史の果て、この国では、創りかえそのものを目的としてしまうような営みが、今では、続いています。

けれども、そういった人間の宿痾か業のようなものは、はたして、地球にとって、私たちの体の中のがん細胞のようなものではない、と言い切れるのでしょうか。そのことを考えて、営みに、何か別の答えを探す人も多い、と知りました。

何故、生まれてきた訳かは分からないけれども、自分がどういう考え方をするか、どういう感じ方をするかを省みて、自分の姿を明らかにしようとする作業が、この星で生きる人間ひとりひとりを謙虚にしていくように感じます。


南風図書館・館長だより(2019年11月)

図書館の2階から西に桜島が見え、火口から噴煙が上がるのが見えます。噴火すると、ああ、これは灰が風に乗ってこちらにやってきて降るから、その前に散歩を済ませてしまおうと、森の道を歩きはじめることがあります。

鹿屋市の野球場から北に高隅山が稜線を映わすのが見えますが、その西の桜島から噴煙が風に乗って、やって来るのも見えます。

桜島は、人間がここに住み着く前から噴火活動をしていたのでしょう。だから噴火による火山灰については、気持ち悪くとも、我慢しなくてはならないところが、大変です。

秋から冬のあいだは鹿屋の方向に、春から夏にかけてのあいだは鹿児島市の方向に季節風が吹き、灰も季節風が吹く方角に降ることが多いとされます。

鹿屋は桜島から離れているため、気持ち悪い程度の降灰ですが、桜島ご当地や鹿児島市の降灰は、視界が悪くなるほどに至ることがあります。

鹿児島港から桜島港までフェリーで渡り、帰路に車でターミナルを出ると、灰がもうもうと舞っていて、その中を観光客が歩いているのを目にすることがあります。

桜島港から鹿屋へ向かうときは、有村溶岩展望所前を通りますが、展望所の駐車場にバスが停まり、国内外の観光客が、溶岩群への階段を上っていくのを見ることも多いです。

人間が生きていく以上、住む土地の自然環境とともに生活せねばなりませんから、その土地柄に、例えば辛抱強いとされる北国の豪雪地帯に住む方とは違うなど、鹿児島独特な質実剛健な精神風土があることは、よく知られたところです。

南風図書館のある大隅半島の鹿屋市浜田町は、錦江湾岸の、温暖な、カンキツ畑など多い静かなところです。

10月なかばまでの蝉しぐれが聞かれなくなると、再び森の中の野鳥の声が聞かれるようになりました。

何という鳥か知らないのですが、キーキーと鳴く鳥が木々の中を飛んでいきます。この鳥の鳴き声が聞かれるたびに、ああ、また、秋が深まってきたな、と感じます。

柿やブドウも熟れ、収穫されたのでしょう。唐芋掘りも最終盤となりました。

まるい地球に、情報は瞬時に飛び交う時代になっても、住むところの自然は、芽を出したり、若葉をそよがせたり、枯葉を落としたり、花を咲かせたりしながら、めぐる季節に育っていきます。

火山灰が降る季節にも、和らいだ秋の陽光は、森の木々や若葉を照らし出し、映わせます。

いま、夕陽に照らし出される開聞岳や薩摩半島の西、夕暮れの空は、1日働いた心の遠くにまで届いていきそうな美しさです。

もう立冬に至り、田舎街にも、今年もクリスマスソングが聞こえ始めました。

またひととせめぐって続くふるさとの生活は、刺激は乏しいけれども味がするように豊かだと、晩秋の景色に、感謝の心で過ごします。


南風図書館・館長だより(2019年10月)

10月に入ってから、このところ、秋晴れが続きます。穏やかな日和の風はかぐわしく吹き、車で出勤してくる時に見る、収穫作業たけなわの、野里の田んぼ地帯を渡っていきます。

図書館2階から、南側の窓向こうを眺めますと、錦江湾の上秋空がひろがり、薩摩半島南端に開聞岳が稜線を映わせています。南薩摩の指宿や山川を大隅半島側から見ていますと、湾対岸の半島の街に、どんな家庭の、どんな暮らしがあるのだろう、と感じさせられます。

高須や郷之原、東原など大隅半島の畑でも唐芋堀りが始まりましたが、山川や知覧といった南薩の芋どころでも、収穫の作業が進んでいるのでしょうか。

南薩摩を舞台にした小説に、梅崎春生の『幻化』があります。東京で入院中の男が病院を脱け出し、飛行機で鹿児島にやって来てのち、太平洋戦争時にいた坊津の海軍基地跡付近から吹上浜あたりを徘徊する物語です。

ちょうど今と同じ、秋の季節だったでしょうか、20年ほど前に、私も指宿から南薩路を開聞岳の麓、枚聞神社前を通って、坊津までドライブしたことがありました。

峰ヶ崎の遥か西、大陸まで、東シナ海がひろがるのをのぞむのは、古い港の遣唐使や鑑真和上の伝説をも伝える歴史と、当時の私の心情もあったのでしょうが、哀しさまで感じさせました。

梅崎春生は、他にも、鹿児島を舞台にした『桜島』という小説を書いています。

浜田町の南風図書館から、秋の開聞岳をのぞみますと、このふるさとに人間が住み着くようになってから、国家が成立し、武士の世となり、鎖国して開国して、2度の世界大戦があって、今に至った人の世に、ここにも農業や漁業ほか生業が生き、継いでいく者、興す者、仕事が続いてきたと知ります。

錦江湾大隅半島岸の高須や根占あたりの港からは、南西諸島、東シナ海の海まで船が出ていたのでしょうか。

図書館から眺める浜田海岸は、江戸時代には薩摩半島から大隅半島へ移住してくる人たちが、上陸してくるところだったという話を聞いたことがあります。

また1945年8月15日の敗戦のち、アメリカの進駐軍が上陸してきたのは、浜田海岸だったとも聞きました。

いま、図書館窓からは、鹿児島市へ向かうクルーズ船が、湾に入って、開聞岳前を航行していくのが時々見えます。

図書館の窓から見える錦江湾の向こう、硫黄島を眺める南の南西諸島の島々の浜に、波が寄せては返し、懐かしい南風が吹いているのだろうかと、想いを馳せることもあります。

錦江湾岸浜田町の海の見慣れた風景もまた、世界とつながる一つの海に、人間という生き物が生きてきた歴史を、今に証していると感じます。


南風図書館・館長だより(2019年9月)

お盆の日に図書館に出勤して、駐車場に車を駐めたところに、捨てられていたであろう黒い毛の子猫の姿を見ました。

前にも森の道で、捨てられていた子猫4匹の姿を見た、と書きましたが、それとは別の猫です。

生まれてまだ日数もたたないらしく、体は小さく、毛も逆立っていました。

いつも通り建物2階で仕事を始めたのですが、昼食の際、外に出ると、テラスの軒下に座り込んで、ニャーニャー鳴いています。

エサをやると居ついてしまうからと、ほったらかしにしていました。昼食から帰ると、まだ軒下にいて、私が行こうとする後をついてきます。

1日そのままにして仕事を終えて出ると、まだ軒下にいます。翌朝、出勤してくると、軒下に座り込んで鳴いています。

さすがにかわいそうになってエサをやろうと思ったのですが、中途半端に世話をして、あとで面倒見切れなくなってはよくない、と思いとどまりました。

子猫は怖がらずに、救けてくれとでも言いたげに、私に鳴きながら寄ってきます。

保健所に電話して、引き取ってくれますか、と問い合わせると、元気な猫は預かれない、とのことです。

南風農菓舎のスタッフが猫好きな知り合いに飼ってもらえるか聞いたところ、預かってくれると答えてくださりました。

スタッフが猫を車で、預かってくださる方のところへ送りに出たときには、ホッとしました。

子猫が元気に大きくなってくれればいいな、と思いながら、スタッフと猫の乗る車を見送りました。

さて、図書館東側の森の道はツクツクボーシしぐれとなっています。秋の彼岸前の森には少し涼やかになった風が吹きますが、散歩道を歩いていると、残暑にまだ汗が噴き出します。

森の先、大姶良の道へ出るところの向かいは、横尾岳へ登っていける道が伸びていきます。この横尾岳から大姶良川が流れ出し、永野田町の先で肝属川と合流すると地図で確認できます。

散歩しながら見ると、大姶良川の水を引くであろう田んぼが山の麓に、稲苗をそよがせています。横尾岳の北側の麓に、田んぼがひっそりと集まっているのは、どこか秘境めいた景色です。

この田んぼ群れの西端のところに、白鷺が二羽、長い足を伸ばして佇むのを何度か見ました。雌雄のペアなのかわかりませんが、私が近くまで歩いていくと、大抵一羽が東の田んぼと山すそ森の方へ、ゆっくりと羽をひろげて飛んでいき、そのあとをもう一羽ゆっくりと追っていきます。

この二羽はどこに巣をつくっているのか、なぜいつも田んぼの西端同じところに佇んでいるのか想像しながら飛んでいくのを眺めていると、楽しくなります。

図書館のある浜田町も彼岸を過ぎると、暑さ和らいでくるのでしょう。

いま、森のツクツクボーシしぐれを聞き、図書館まわりに群れ飛ぶトンボの姿を見ながら、生命盛りの夏のあと、かぐわしさだけ残して吹くような風が木々の枝を揺らす中を暮らしています。

秋が深まると、図書館から眺める、西日染めるあかね色の空は、開聞岳や薩摩半島の稜線をドラマチックに映わせます。

また、今年も実りの季節が近づくと、日々働いたり、森を散歩したりしながら、初秋の景色をほっこりとした気持ちで眺めます。


南風図書館・館長だより(2019年8月)

図書館2階の仕事場から、窓の南の風景を眺めておりますと、開聞岳の向こうの空に入道雲が白く映え、青空と海が美しく青く輝くようです。

今年初めから書いておりました「十二年後の海で」という小説がもうすぐ刷り上がり、南風図書館にて発売となります。これは浜田海岸や沿岸のミカン畑、唐芋畑などを描いた小説です。南風図書館にいらした際には、手に取っていただけると嬉しく思います。

森の散歩道を行きますと、ツクツクボーシの鳴き声が聞かれ始めました。暦の上では立秋となり、お盆も近づいてきます。暑さは続きますが、陽光の輝きも7月の盛りよりは、ほんの少しだけ和らいだように感じます。

鹿屋の繁華街では、進学や就職で街を巣立った若者たちが帰省し、中学や高校の同窓生たちと連れ立って歩くのが見られます。気の置けない懐かしい仲間たちと、近況を語り合ったり、旧交を温めているのも、ふるさとの街の夏の詩でしょうか。

季節はめぐり、毎年、夏がやってきますが、そのたびに「帰ってこれるところがある」ことのありがたさを感じます。

ふるさとを巣立ち、都街で働くようになっても、生まれ育った景色や、そこでの思い出は記憶され続けるでしょう。幸いにして、ふるさとで執筆することができるようになった私も、都会で汗を流し、人と人との摩擦で苦しむような方を癒したり、励ましたりするような作品を作りたいと願います。

大隅半島の夏は、海や川、山、森豊かな自然に、暑いけれど、どこか清潔さを感じさせる風が吹きます。少年の日の記憶を宿しながら、いろんなところで働く同世代の姿に、私も、しっかり生きなくては、と心に刻みます。


南風図書館・館長だより(2019年7月)

7月初めに豪雨となりました。串良川氾濫の恐れとスマートフォンに警戒情報が入るなど、激しく降りました。

豪雨のち、雨の上がっているあいだに行く森の散歩道には、土のくぼみのところを降った水が流れ、川のようになっていました。

図書館へ車で向かう途中の高須川も水かさを増し、流れを急かせていました。

もうすぐ梅雨も明けるかも、と知らせてくれるように、浜田の集落からの道に、ヒマワリが咲き始めました。森を行くと、蝉の鳴き声も聞かれ始めています。

浜田海水浴場や高須の海には、晴れた日にはヨットが帆を上げているのが見られるようになりました。夏の高校野球甲子園県予選も始まったと報じられ、今年も夏本番が近づくのを感じます。

ちょうど田植えが一区切りした野里の田んぼ地帯には、苗が気持ちよさそうにそよいでいます。高須川流域の、この野里には、「田の神様」という石像の他、仏様を彫った石像など、田んぼの中や農業用水路流れる屋敷前の入り口とかに見られます。

田の神様については、かつて野田千尋さんという学者が研究し、本にまとめました。野里だけではなく、肝属川流域の田んぼ地帯などにも、田の神様は見られます。

しゃもじを手に持ち、頭巾のようなものを頭にかぶった田の神様は、微笑ましい姿で、田んぼ地帯の農作業を見守るようにしています。

彫られたのは江戸時代の頃だったのでしょうか。どんな気持ちで、どんな人が彫ったのか、古へのロマンをかきたてられます。

一昨年、鹿児島市の黎明館で「鹿児島の仏たち」という企画展がなされ、私も見に行きました。垂水市の勝軍地蔵はじめ、廃仏毀釈の時代の中、地元やお寺の人によって守られた仏像が展示されていました。

明治維新前の薩摩大隅に、信仰の証のように彫られ、拝まれた仏像たちは、祈りのかたち、心のかたちのように、今に何かを伝えてきました。

飛鳥~平安時代のもの、鎌倉~室町時代のもの、安土桃山~江戸時代のもの。鹿児島にも歴史の古層には、仏の教えが生きていると知りました。

この展示会には展示されていなかったもので、大隅半島での石仏は、特に肝属川下流の屋敷まわりで発見しました。

唐人古墳群近くには、弥勒菩薩石仏ほか、点在しています。

他に、高隅山麓郷之原から大浦への道には、小川観音があります。安産に験ある観音様の石像だそうで、小川流れ脇の岩の上に彫られています。岩の手前には庚申塔があります。この庚申塔は、白水にも、浜田にも、新川などいろんなところに見られ、江戸時代に彫られたもののようです。

野里の田の神様は、今年も田植えの終った高須川流れの田んぼ地帯を、彫られた時代から、いく夏、見守り続けてきたのでしょう。

生き延びたいと祈り願う心、秋の稲刈りまで苗に育ってくれよと祈る心が、石仏や田の神様を彫った古の人にも、今年田植えを終えた農家にも、遥かに伝えられ、流れ続けていると感じます。


南風図書館・館長だより(2019年6月)

湿った風に、汗をべとつかせながら、降る日々を、図書館で過ごしています。

雨のやんでいる間に、大姶良への道へ、森の中を歩きます。すっかり日課になって歩く散歩道にも、気づくことがあります。

杉のように幹をまっすぐに伸ばす木、二俣に幹を分け曲がらせくねらせながら空に向かって伸びる木、幹にからむように茎をはわせのびるカズラ。樹齢はどれくらいなのか、なぜこんな形になるような成長をしてきたのか。森は一本一本の木の群れですが、種の落ちたところは、その木の選ぶところではなく、それでも伸びていこうとする生命の力が、陽光の当たり方や、雨の降り方、木の葉の呼吸、風、土壌などの環境の中で、たくましく姿かたちを成してきたのだと感じさせられます。いま、梅雨の時期には、春に新緑として萌え出た若葉が緑色を濃くし、呼吸を森全体に深めていくかのようです。

先日は森を行くと、子猫が4匹群れているのに出くわしました。どうやら捨てられていたようです。私の姿を見ると、怖がるように身を寄せ合っていました。2時間ほどして、また歩くと、4匹のうちの子猫1匹、カラスにくちばしでつつかれていました。この森の道では、野ウサギが私の姿を見るやダッシュで逃げ走ったり、野生猿が腹を空かせて食べ物を求めて歩き回っていたり、カラスが野鳥を威嚇していたり、残酷さもあわせた生命の姿を見ます。森の動物たちも、生まれ授かった己が命を生きるために、強くなっていかなくてはならないようです。

散歩道には初夏の草花も目にします。森を行く道の先、海から大姶良へ至る道を瀬筒の方へ歩いていきますと、路傍にはヒメジョオンがよく見られます。白い花をつけますが、いかにも生命力の強そうな姿形です。他にも道を行きながら見る草花が咲いているのを図鑑で調べてみますと、オオキンケイギク、ムラサキカタバミなどと知ります。オオキンケイギクは、黄色の花で、草丈は60センチほど。これも野性味を感じさせる草花です。ムラサキカタバミは草丈30センチほどですが、その可憐な花の見かけによらず、生命力の強さから、この季節に繁殖するとのこと。それから、農道の土手などには、シロツメクサが見られます。牧草としても栽培される草花だそうですが、見ていると和むような気持にさせてくれる優しい姿形の白い花です。

ところで、野里の田んぼ地帯では、田植えが最終盤を迎えています。いま、水を張った田んぼに、植え付けられたばかりの苗がそよいでいます。また、唐芋畑では、畝に苗が活着し、茎葉を伸ばす育ちの盛りです。夏には、茎葉が太陽の光にぐんぐん育ち、根の芋を肥大させながら、畝を覆っていきます。

南風農菓舎では、ハーブのミントが摘みごろです。毎日収穫して、フレッシュティーをつくっています。

アジサイの花が美しく咲く梅雨時には、地球という丸い星の片隅のここに生きる樹木や動物、作物たちの生命も、生きていこう伸びていこうと、たくましく育っています。

もう夏至の頃。あと、ひと月のうちには梅雨が明け、蝉時雨の夏の森となります。


南風図書館・館長だより(2019年5月)

10連休となったゴールデンウィークには、南風図書館や南風農菓舎にも、多くのお客様がいらっしゃいました。

南風図書館から、丘の麓にのぞむ、浜田海水浴場沿いの、佐多街道国道269号線を、南大隅町・雄川の滝や佐多岬へ南下ドライブされる方も、多かったのでしょう。

連休中に、開聞岳の方角の夕日が美しく空を染める頃、夕陽のコンサートを楽しみにお客様が、待っていらっしゃいました。日の入りが、18:50から19:00頃に至る季節、夕陽がいちばん美しい時刻に音楽をかけようとしていたのですが、待ちきれず帰ってしまわれるお客様もおられ、少し残念でした。

ゴールデンウィークが明け、浜田町は、また風の音や鳥のさえずり響く、静かな日々です。

図書館へ移動する車のラジオで、奄美大島が梅雨入りした、と報じられているのを聞きました。

浜田町近くの野里の田んぼ地帯では、田植えの季節を迎えています。また、唐芋畑でも苗植えがたけなわです。

錦江湾からの潮風にも、どこか湿り気を帯びているように、感じられます。

この季節には、田んぼ地帯でも、浜田町にいても、蛙の鳴き声が聞かれます。ゲコゲコと鳴き声を響かせるのが、どこか懐かしく、微笑ましく感じられます。雨に濡れているのが気持ちいいと、喜んで鳴いているように聞こえます。

また、高須川の流れる森には、ホタルが乱舞する季節となりました。

南風図書館に沿って道を行くと、建物東側には、霧島ヶ丘の斜面にひろがる森がおおう道が、400メートルほど続きます。木漏れ日の中を歩いていくと、もう夏の蝶が、木々の中を舞っています。森を歩ききり、海水浴場から峠を登り切って大姶良へ至る道に出て、瀬筒の集落の方へ歩いていくと、森の麓の畑地帯や、瀬筒近くの農道に、草花が可憐に咲いています。ひっそりと建つ神社もあり、発見したと嬉しくなりました。道路脇には、早くもアジサイが花をつけているのもみられます。

夏の輝く陽光を拝む季節を前に、梅雨がやってくるのを、肌で感じます。

もう雨の季節がやってきますが、あと2か月もすると、浜田海水浴場の海開きになります。

梅雨の間は、蛙の鳴き声やアジサイの花に癒されながら、夏本番を待つように、降る日々を図書館で過ごします。


南風図書館・館長だより(2019年4月)

初夏へ移ろっていく、かぐわしい風吹く季節となりました。

ちょうど垂水市高峠のつつじが丘など、ツツジの花が美しく咲く頃です。南風図書館まわりの庭でも、ツツジが見ごろを迎えています。

図書館へ向かう車の道中では、男の子の節句を前に、鯉のぼりが悠々と空を泳いでいます。

高隅山や霧島が丘の森の木々には、新緑が陽光に鮮やかに萌え映え、呼吸をするのも気持ちのいい4月の野です。

南風図書館では、4月7日(日)に「花まつり・詩の朗読会」を開きました。 南風友の会会員様はじめ、鹿児島市や霧島市からも20名を超す方々がご参加くださいました。

春の空らしく、少しかすみがかかっていたため、錦江湾対岸の開聞岳は、稜線をぼんやりとさせていましたが、図書館からなだらかにくだっていく丘の中腹の森の新緑や海が美しく映える日和となりました。

FMかのやの前原さとみさんはじめ、7名の方々が詩を朗読されました。

ひとり2篇ずつ朗読する詩を、潮風に吹かれながら、森の野鳥のさえずりとともに聞くのは、心安らぐ幸せな時間となりました。

朗読会のちは、図書館のカフェで懇談となり、ゆったりと過ごされました。

これからまた、随時企画を立て、ご案内させていただきます。ご参加をお待ちいたしております。

さて、今年もまたゴールデンウイークが近づいてきます。立夏の頃の大隅半島はドライブにも楽しい季節です。車窓を開けて、潮風に吹かれながら行く、こんなドライブルートはいかがでしょう。

古江からさらに海沿いを行くと、砂浜に赤い鳥居が見えてきます。波打ち際を分けるように伸びる浜の道向こうの岩山に社殿のある荒平天神です。菅原道真をまつる学問の神様ですが、近年地元の方だけでなく、観光にいらした方々も立ち寄るスポットとなりました。

鹿児島市と垂水港を結ぶフェリーを降り、国道220号線を南下。錦江湾の青い海を見ながら、柊原や新城を行き、まさかりから佐多街道へ。鹿屋市古江に至ると、地元のブランド魚・カンパチの料理が楽しめるみなと食堂があります。カンパチづくしの料理で昼食はいかがでしょう。

さらに佐多街道を行くと、高須や浜田の海の先、錦江町神川に至ると、神川大滝公園が近くにあります。テレビコマーシャルの撮影にも使われた美しい滝です。

錦江町大根占へ出て、南大隅町根占へ至ると、有名になった雄川の滝へ至ります。ここからさらに東側の山に向かえば、雄川の流れに石畳を敷いた景勝の花瀬自然公園があります。花の季節には、川にかかる花瀬大橋を眺めながら石畳で、花見をしていらっしゃる方が多くみられます。

根占の繁華街から佐多街道を直進すると、本土最南端の佐多岬まで続きます。

道中、薩摩半島の開聞岳が、陽の位置や光の当たり方に稜線を映わせ、少しづつ輪郭を変えていくのを眺めながら行く、楽しいドライブです。

また、南風図書館からは美しい夕陽を眺めることができます。開聞岳の向こうから西陽が空を染め、美しい光を放つ頃、郷原茂樹の作詞した音楽を流す、夕陽のコンサートを開いています。ドライブの帰りに、大隅半島の休日のサンセットを思い出にお刻みください。

行き帰りには是非、南風図書館にもお立ち寄りください。図書館すぐ近くの姉妹施設・南風農菓舎では、お昼に薬膳カレーを召し上がっていただけるほか、ガーデンで採れたハーブティーもお楽しみいただけます。生命豊かな森の中のハーブ園のフレッシュティーは、遥かな錦江湾の長めに、心を静かに満たし、癒します。

錦江湾岸を行くドライブは、ひとりでも、恋人とでも、家族とでも、美しい風景を満喫できます。

美しい大隅半島の初夏の風を、ぜひ、お感じください。


南風図書館・館長だより(2019年3月)

いま、大隅の南風の丘は花薫る季節です。

車で出勤してくる道には菜の花の黄色や木蓮の白い花が鮮やかに目に映ります。

南風図書館は2018年11月3日にオープンしました。

郷原茂樹の書籍を販売する1階ブックカフェにもお客様をお迎えしています。

2階書庫にも、地元の高須公民館の方々はじめ、韓国などからお客様をお迎えしています。

私は、この建物の2階の一室で仕事をしていますが、仕事場の南側の窓向こうには、南風の丘が海に面する斜面の森の先、海水浴場の南に、錦江湾や対岸薩摩半島の開聞岳を遥かに眺めることができます。

ここから錦江湾上空の空や海、風景を眺めていますと、太陽が南の空から西の方へ移ろっていく光の変わり方に、雲や海水、森の木々の葉などが、その時々に様々な表情を映わせます。

白い浮雲が西からの陽光に影を表にしながら流れていったり、雲と雲のすきまからお日様が顔を出してこちらに光を放ったり、また陽光が雲にさえぎられた為に光が落ちて、スポットライトのように、錦江湾の海に陽だまりを作ったりします。

降る日には、森や海やその向こう側の風景が、白い霧に覆われたのち、すっかり雨に洗われ、雲が流れ行くと、澄むような空の下、また木々や海、薩摩半島の稜線が姿を見せます。

この美しい風景のまわり、建物の北側の森からは、野鳥のさえずりが聞かれます。

いまはウグイスが渡り鳴きを響かせ、春の訪れを告げています。

秋だったでしようか、渡り鳥が羽を折ったり伸ばしたりしながら、海の向こうからこちら側に飛んでくるのを眺めていたこともありました。

また、隼がピーヒョロロと鳴きながら、上空に輪をかいているのも眺められます。

森には野島のほかにも、狸やリス、野ウサギなどが生きているようで、時々姿を見かけます。

野生猿が姿を見せ、図書館建物まわりで、うろうろしているのを見ることもあります。

森の生き物たちにとっては、図書館建物が建ったことで、住処を狭められた感じなのかもしれないと少し残念ですが、こういった環境で心安らいで過ごす仕事の時間は、何事にも代えられない幸せを感じさせてくれます。

夕方、図書館の西側の空、開聞岳の向こうに太陽が沈んでいく頃、郷原茂樹の作詞した音楽を流し、夕日のコンサートを開きます。お客様や地元の高校生などが、美しいタ日を眺めていらっしゃることがあります。

こういった生命豊かな森の環境で、執筆や編集に取り組むのが、私の仕事です。

美しい風景や風の音、森に住む島や生き物たちに癒される南風図書館ブックカフェで、ゆったりとコーヒーを飲みながらくつろがれるお客様もいらっしゃいます。

ちょうど菜の花や木蓮の季節となりましたが、これから挑、桜、ツツジなど見ごろを迎えます。

初夏にかけての大隅半島の風は、美しくかぐわしく気持ちのいいものですが、またこのひととせにも春がやってきたと、今はうれしい気持ちでいます。

4月7日(日)には、「花まつり・詩の朗読会」を催すこととなり、準備を進めています。

春から初夏、新しい季節を迎え、また南風図書館での新しい出会い待つ心を弾ませているところです。